見出し画像

ヒトの感情以外は何一つ生み出さぬ仕事が、私の感情をめちゃくちゃにした


1週間に1回、お休みに投稿しようと思っていて、初っ端から日が空いてしまった。

日々投稿しようと思っていることはたくさん浮かぶのだけれど、投稿しよう!と思うと何が書きたいかわからなくなったり、

逆にアウトプットに熱中できないような環境(出勤中やトイレの中など)では書きたいことが浮かぶのに、あとで、、、と思っていると、
後ではその時の思考の深さに戻れなかったりする。

深い思考に戻れたら戻れたで、モードに入った時の自分の思考に手が追いつけなくて書き出すことを諦めてしまったりする。
書き出して文章にすることはやっぱり難しい。

仕事の話

仕事の話をしようと思う。

私は結婚式場で働いている。いわゆるウエディングプランナーだ。
そして今、まさに仕事を辞めるかどうかの瀬戸際にいる。

ウエディングプランナーが
「辞めたい」理由

「ウエディングプランナーが仕事を辞めたい」というと、大抵の人は「忙しすぎる」という理由を思い浮かべるのだと思うが、
実際のところはそんなに単純なものでもないことがほとんどな気がする。

ウエディングプランナーとは

まず、わたしが「ウエディングプランナーとは」と聞かれたら、この歌詞をそのまま答えたいと思う。

(少し引用が長くなってしまったが、全てがまさにそうだと思うので良ければ全て読んでみてほしい。)
(一部飛ばしている部分もある)

悩み事 隠し事 私事だらけを書く仕事
悩み事 隠し事 のみこんで笑顔でやる仕事
目の前の白紙ごと 塗りつぶす想いを吐く仕事
泣く仕事笑う仕事 自分じゃない誰かになる仕事
あらぬ事よからぬ事かきたてられ 心底病む仕事
いくつもの言の葉を紡ぎ やっと一つ伝わる仕事
言葉すら不要 目の動き一つ全て伝えてしまう仕事
自分を正当化する仕事 自分を過大評価する仕事
大勢の他人を蹴落としてでも自分を認めさせる仕事
泣かせる仕事 笑わせる仕事
見たお前が勝手に重ねる仕事
ヒトの感情以外は何一つ生み出さぬ仕事

「サントラ」Creepy Nuts×菅田将暉

例えば、昨日まで全く知らなかった相手との打ち合わせが今日始まる。

昨日まで全く知らなかった人の生い立ちから今までを、
「昨日まで全く知らなかった人」に話してもらえるようにかなり気を遣いながらヒアリングし、その裏の思いや迷い、喜びの根源、葛藤を知る。
それらの感情を共感できるまで聞き、自分の感情のように感じるまでその人の人生に入り込む。

そして、どんな結婚式なら喜んでもらえるか考え、ゼロ状態の白紙から当日の3時間半を組み立てていく。その人の喜びそうな言葉を選びながら何度も提案書を書き直す。

今度は、お休みを丸一日使って作った提案書を、どんな風に伝えたらあの人たちは嬉しいだろう、どんな言葉で伝えたら意図が伝わるだろう、と考える。

提案の導入部分で例えると、「お二人のことをお休みの日もずーっと考えてました!」「私自身お二人のファンになってしまって、とても楽しく考えました!」という私自身の人間味が出たソフト寄りな導入を喜ぶ方もいれば、
「たくさんのスタッフの意見を反映させて作りました」「最近の流行を取り入れて作りました」というような、プロフェッショナルを匂わせる導入を好む人もいる。
(例えが難しい、、、伝わるだろうか。)

ついに迎える結婚式当日。
新郎新婦から様々な話を聞いていた、彼らの親に初めて会う。

こういう気持ちを伝えたいと話していたな、
この親御さんは、あの提案した伝え方で
きちんと気持ちが伝わるタイプだろうか。
手紙を読むのではなく、たとえ文章がまとまっていなくても目を見て伝える方が伝わるのではないだろうか。

当日も色々な人の感情にアンテナを張り巡らし、
時には新郎新婦に今まで決めてきたことを変える提案をしながら、各所に変更を依頼しながら、「でもお二人ならこの方が喜ぶと思うんです!」と自分の想いも交えて謝罪しながら、1日を過ごす。

ウエディングプランナーとは、とにかくヒトの感情を感じ(ることができ、又は、感じなくてはならず)、とても繊細な、「感情」というものの隣で生きる職業なのだ。「感情」を扱うことが生業とも言える。

感情の飽和状態

よって、単純に忙しいとは違う。
忙しさで言うと体も200%忙しいけれど、感情の忙しさによってそれがかき消されてしまう。感情の飽和状態になる。

他人のいろんな感情を吸い込みすぎて息が苦しくなったり手が震えたりすることもあるし、突然涙が出てきたりすることもある。そしてその出てきた涙も、嬉し涙なのか感動なのか悲しいのか悔しいのか、自分でも判断が難しくなってしまったりもする。
感情を脳が処理できていない状態なのだと思う。

ついでに言うと、こんな風に向き合った人たちから考えられないようなクレームを受けてしまうもこともある。
結婚式は嫌な言い方をすると、夢とプライドと自己顕示欲と、「一生に一回」という逃げ場を無くす魔法の言葉で出来ている高額の商品だ。

だから、人間の(特に女の)計り知れない欲や本能を感じる瞬間がたくさんある。新婦、新郎、親、皆が敏感になるのでクレームは多く、クレームを受けた責任も重い。
高いお金を払っているのに全然提案してくれない、等と言われた時にはかなり不条理だと思ってしまう。
(幼稚な反論が許されるならば、「高いお金」を受け取っているのは明らかにプランナー個人ではない)

もちろん当日を迎え、泣きながらありがとうと言われた時には底知れないやりがいを感じる。

自分の感情が荒波のまま他人の感情の波にも乗って、「楽しい200%、辛い200%」の訳がわからない状態になる。


一番大事にしたいものって
なんだっけ

これを丸4年続けたのだから、頑張った、と少しは自分を褒めてもいいのかなと思う。
(年数だけを見たら、まだまだ経験が浅いと言われてしまうのかもしれないけれど。)

ただ、実はこの感情の忙しさが一番の辞めたい理由かと言われると、そういうわけではない気がするのだ。

土日やゴールデンウィークなどの連休は休めることがまずない。みんなの連休=私たちの連勤、である。
そして、給料はそう多くはない。
責任の重さや勤務時間を踏まえるとかなり少ないと言える。

例えば昨年末、姉の結婚が決まった。
「1ヶ月後(土日)に顔合わせするけど来れる?」
当然行けない。なんなら、それが半年後だとしても怪しい。
(担当の婚礼は約半年前に決まる。)

大学のサークルの集まりがある。
当然行けない。
高校の同窓会がある。当然行けない。
行けない、行けない、行けない、、、、

せめて平日のお休みに、親は仕事をしているけれど夜は会えるから帰省しようと思っても、
一泊だけ、夜だけ会うためだけに、新幹線代高いな、、、と渋ってしまう。
(私は決してケチな方ではないということは伝えておきたい。単純にその後の生活が厳しくなってしまうのだ。)

人のために。人の人生をより輝かせるために。という仕事なはずなのに、
自分の1番身近な人たちを幸せに出来ない。会えない。
親と、人生であと何回会えるんだろうと考えてしまう。
そろそろ親孝行を始めなければならない歳にもなってきた。小さい頃話した、いつかお父さんとお母さんをパリ旅行に連れて行くね、という約束はいつ叶えられるんだろうか。

私の一番大事にしたいものって何だっけ。

目先の幸せより、
死ぬ時にいい人生だったと思いたい

いろいろ話したが、
今の仕事は総じてとてもやりがいはある。
苦しみながらもがくという言葉がピッタリな仕事は、楽して生きることを罪と感じてしまう性分の私には向いていると思う。

ただ、目先の自己肯定感の向上より、
人生の最後の目が閉じる瞬間に
「やり残したことはない。ああ、いい人生だったな」そんな風に思いたい。
それは自分の周りの人を大切にして、たくさん話していろんなところに行って写真を撮って、
思い出をたくさん残せること。
そして「私の両親は、家族は、大切な人は、いい人生を送ったな」と思えること。
それが重要なのだと思う。

これから

今の気持ちを上司との面談で伝えてみた。さらに上に話が行ったのか、別の上司から「これからについて話そう」と連絡先を渡されている。
今からその上司に連絡しようと思う。

どうか、これからの人生が
もっともっと優しいものになりますように。

※後日加筆🖌️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?