新海誠という病 〜新海誠に性癖を歪められたと言っても過言ではない〜
こんにちは。
少し前に、すずめの戸締りを観た感想を書きました。
ここでも書いていますが、私は新海誠作品が大好きです。
この生々しさと毒々しさの間をすり抜けたようなエグさが大好きなのです。
私は中学生の頃に初めて新海作品に触れて、性癖をめちゃくちゃに歪められて、そのまま矯正されることなくおとなになってしまったので、新海作品をみると脳汁がドバーッと出てしまう。
私が大好きな新海作品について、少しずつ感想とどこが好きなのか、どうして性癖が歪められたのかを簡単に書いていこうと思います。
※記事の性質上ネタバレを含みますのでお気をつけください※
秒速5センチメートル
私が初めて新海作品に触れたのは秒速5センチメートルでした。
当時、中学3年生でした。
付き合っていた彼の実家の2階、カーテンと襖戸で遮られ、太陽光があまり差さない薄暗い部屋にある小さなテレビに向かって、彼のベッドの上に腰かけ、彼に後ろから抱きつかれた状態でこの映画を観ました。
(そんなどう考えても“そういうこと”の導入としてこの映画を使われたことを知ったら、新海誠はものすごい怒りそうだ……とは思う。)
はたして、もうすぐ卒業で、違う高校に進学するということが決まっていた私たちにとって、秒速5センチメートルはものすごく刺さり、離れたくない思いを強め、まさしく“そういうこと”の導入になりました。
桜花抄で初めて出会ったあかりと貴樹くんは、転勤族でどこか馴染めない者同士、趣味が合うこともあり、すぐに仲良くなったし、冷やかしにも負けることはなかったのに、距離には勝つことは出来なかったんだなと苦しみをかかえました。
小学生・中学生という年齢が彼らを無力にし、引き裂き、苦しめ、貴樹くんの引越しが決まり、貴樹くんがあかりにあいに栃木に行った時も、悪天候に阻まれ、約束の時間にたどり着けないなどのトラブルも彼らの距離・無力さを強調しているようでした。
桜の花、そしてハラハラとまう雪は、日本では儚いものの象徴として描かれますが、その桜や雪の中で舞うようなあかりの姿はまさしく儚く、触れたら消えてしまいそうで。
小学生の時、桜の中で傘をさしてクルクル回ったあかりと、中学生になって雪の中を走りだすあかりは、本質的には変わりません。
桜の木の下、雪の中でキスをしたあと、貴樹くんの中であかりへの気持ちが変わった、という描写がありましたが、そのキスで、儚い存在、妖精のようなどこか実態すら危ういと思っていた存在が、実態を持って目の前に現れて、おそろしさすら生じたのではないかと手に取るように分かりました。
実態のある、ひとりの人間であるあかりを、無力な自分は大切に、幸せにできるのだろうか、という不安が、またあかりと貴樹くんの距離を広げてしまったのではないでしょうか。
2話目のコスモナウトは種子島が舞台。種子島に住む彼らにとって宇宙とは、打ち上げ場があることもあり、生活に近く、身近な存在だったはず。
海もまた同じく。
広く、時に自分に牙を向いてくる海や、高く広がる空、何もない原っぱなど、それまで暮らしていた東京と対比されるまでもなく、大きな空間がひろがっていました。
小学生・中学生の頃の貴樹くんやあかりは図書館と自分の家の周りがせいぜいの生活の全てで、それ以外の場所がなかったのと対比がすごくて、そうしてまだ自分の小ささを、貴樹くんは自覚していくことになります。
自分に思いを寄せる女の子がいるというのに、全く気づかないのも、彼の世界の狭さを示唆しているようで。
そうして狭い世界の中で中途半端に優しくして、相手を知らず知らずのうちに傷つけてしまいます。
自分の目標をなんとか達成して、想いを告げようとする彼女にも気付かず、泣かせてしまった時に打ち上がるロケットも、気が遠くなるほどの時間をかけて、遠くまで、ひとつの原子にあうこともなく、壮大な旅をする、という表現からも、それに比べて小さな自分……というのが見え隠れします。
そして最終話、秒速5センチメートルでは、おとなになって、社会の歯車としていきていく貴樹くんが描かれているのですが、これがまた苦しい。。。
どんなに働いても、彼女をつくって普通の人間として振る舞おうとも、ちっぽけで無力で変わることが出来ないという絶望を突きつけてきます。
そうして、小学生の時から抱えている後暗い想いを、初恋の人を探しながらあたため続けているんだなと思うと……
何者にもなれないこの絶望感、飢餓感、苦しみが私は大好物なのです。
というか、これは、貴樹くんは自分だと感じるほどでした。
とにかく苦しい。
雪の新宿で、桜の踏切で、あかりに似た人とすれ違ったのに、声をかけることも目を合わせることもできなくて。
彼女が元気でいるかを確かめることも出来なくて。
そうして一生引きずって生きていくんだろうなというその姿が、とにかく切なくて、儚くて……
副題が「a chain of short stories about their distance」というのもいいですよね。
彼らの縮まらない距離、そのどうしようもなさの話なのを実感して泣きそうになります。
話は変わるが、先日初めてIMAXで秒速5センチメートルをみました。
大画面で酒をきめながらみる秒速5センチメートルは、あまりに暴力的で、やっぱり薄暗い部屋で小さいモニターでみるのが1番いいなと思いました。
また機会があればもっとでかい酒を持って観に行きたいです。
そうして深海沼に足を踏み入れた私は、次にこの映画を観ました。
言の葉の庭
これがまた、心をぐちゃぐちゃにしてくる……。
雨の新宿御苑の美しさ、空気の淀み方から、この2人の後暗さをきっちり示していて、美しい。
朝からビールとチョコレートで出来上がる大人と、靴職人になりたい男子高校生の甘酸っぱく、チクチクと胸を刺すような切実な生き方が私はだいすきなのです。
物語が進むにつれて露になり、さらに2人をしめつける生きづらさも、もはや心地いいものになってきて。
現代はどんどん生きづらくなり、孤独を愛する人が増えていると思います。
私もどちらかというと孤独が好きです。
うるさいことを言う親も、ちょっと気を遣う友人も、なにかと自分を監視しようとしていると疑ってしまう先生や上司も、いつか自分を突き放すんじゃないかと思う恋人も、煩わしいと感じてしまうことがあります。
それでも、ひとりになるとどうしても人肌を求め、また誰かにすがってしまう、そんなバランスのとれない自分が顔を出す、この二律背反な自分をどうにか出来ないものかと、日々思っています。
雨の描写も美しい。
さらさらと降る雨、打ち付けるような雨、窓に当たる雨粒も池に跳ねる水紋も、2人を外界から遮断する役割をかって出て、でも2人はお互いの立場もあり、ずっと一緒にはいられなくて……
同じ気持ちでありながら、一緒にいられないと楽しい時間を過ごしたのに「好き」と伝えた舌の根も乾かぬうちに「嫌いだ」の言葉を投げつけるのも、大切な思い出だというのを際立たせているように思います。
秦基博の『Rain』が挿入歌として入っているのもすごくいい……
これで手応えを得て君の名は。の制作の時にあんなに曲を詰め込んだんじゃないかとおもうほど、完璧なタイミングで美しい歌を入れてきて、より2人の孤独を強めていって、本当に綺麗。
二人の関係に同じ学校の生徒と古典の先生、というのもまた美しい。
昔から東京で大切にされてきた新宿御苑で出会ったふたりが、万葉集の言葉を交わし合うの、なんと美しいことか……
和歌には言葉が足りないからこそ伝わる美しさと切なさとびっくりするほど大きな想像力があっていいですね。
日本人が変態的妄想力をつけたのって和歌のせいじゃないのかとすらおもいます。
言の葉の庭は私が新海作品の中で一番好きな作品となりました。
雲のむこう、約束の場所
そうして苦しみながら次にみたのは雲のむこう、約束の場所でした。
これがまた美しい苦しさでした。
この人は苦しくて美しい世界を描いたら世界一だなと思いました。
世界としてはSFに近い。
分断された日本で、厳格に統治・情報を制限された世界で、統治の外に意識を向ける3人の幼馴染と、それぞれがどう夢を叶えるか、時にそれは世界を敵に回すことになる、という厨2ちっくなのもいい。
そしてそれが、分断されているのが北海道なので当然と言えば当然なのだけれど、青森が舞台というのもいい。
東京からずーっと北上していくだけなのに、たどり着く頃には山も深く、雪も深く、言葉もちょっとどこか不思議で、よく分からない土地。
そして、同じ日本なのに閉鎖的でご近所の目も光るような、高校のクラスがそのまま自治体になったような雰囲気を田舎には感じることがありますがら青森ってまさにそういう土地だと思うのです。
(青森の方、気を悪くしたらすみません。そういう意図はないです……)
みんな横並びがいい、統治されてるのは心地いい、そんな土壌で、どこか「忘れられた土地」にも感じるような世界で、夢を叶えるために走り続ける、全てに逆らう少年たちという描写がとてもいい……
新海作品で印象的に取り上げられる駅舎や電車も、青森の電車だと少しさびれて寂しさすら感じます。
廃駅を秘密基地に使っていた3人は、夢を叶えることで会うことも話すこともなくなる、というのが、役目を終えた廃駅のすがたと重なり、美しいなと思います。
個人的には、お勉強が得意ではないこともあり、あまりSFは得意ではないのですが、人物描写に重きを置いて観ればすごく楽しくて、心に重しを置きたい時にピッタリだなと思います。
これが2作目だなんて……
ほしのこえ
このあたりにくると、自分がどんどん深海沼にハマっていることに気づき、もう引き返せないなと思うようになります。
なのでせっかくだし、と1作目をみることにしました。
それがこの「ほしのこえ」です。
これもかなりSFなので、新海監督はほんとうはこういうストーリーが好きなんだろうなって思ったり。
映像はあまりに綺麗ですごいけど、人の絵が崩壊したりしてて苦手。
感情移入するのに人の形って大事なんだなぁなんてぼんやりおもった。
ただ、心情描写についてはやはりさすがのひとことで、使命を持って飛び立った女の子がどんどんひとり孤独になり、一瞬で送れるはずのメールを送って届くまでに何年かかるとか、そこから返事が来るのに何年かかるとか、その間に自分が死んでしまうかもしれない恐怖とか、そういうのに苦しめられるのがいい。
やっぱりどんなヒーローも人間で、苦しみがあってというのがみえるのがすごくいいなあって思いました。
星を追う子ども
そのあとこの映画をみたのですが、正直どんな話だったかは覚えていない……
あまり得意ではない感じの話でした。
確か死後の世界とこちらの世界を行き来できる?話だったと思います。
なぜ苦手なのかというと、死後の世界と行き来できるということで、この世界の人は救われるのか?というのをすごく疑問に思ってしまったのです。
確かこのビジュアルで右にいる暗い男の人、奥さんか誰かが亡くなって、死後の世界と行き来できる場所を探っていて、主人公の女の子にもかなり執着してつきまとって、なんとか死後の世界に行くけれど探している人はみつからないのでまだずっと探し続ける、みたいな感じだったと思うのです。
それって緩やかに自殺していることと同じなのではないかと思うのです。
主人公があちらの世界からたしか戻ってくるはずで、そういうのとの対比の意味もあるのかと思いますが、人間は終わりがあるから輝く瞬間もあると思っていて、そういう主義の私にはちょっとあわない話だったなと思いました。
全体的に薄暗いんじゃなくて重暗い雰囲気だったし。
そんなわけで、だいたい合わなかった作品のことは忘れてしまう私ですが、ひとつ、主人公があの世へ向かうのに水に沈んでいくシーンがあるのですが、そこで1歩足を水につけるシーンがすごく印象に残っています。
期待と不安を感じる1歩で、水も異様な雰囲気を漂わせて、すごくいいなと思いました。
君の名は。
そうして、君の名は。が公開されました。
それまで、新海監督の映画が公開されるような都会に住んでいなかった私は、東京に引っ越してきて、さらに君の名は。の大ヒットで、どこにいても新海監督の映画がみられるというこの状況にすこし感動すらしていました。
そして忘れもしない、映画館で君の名は。をみた日の衝撃。
ラブコメで、ちょっとにぎやかで、という予告からは想像出来なかった激的な事件。
時間がズレていたことに気づかないなんてある?という思いもありつつ、すれ違いと強い想いを持った彼らの不思議なめぐり逢いに、苦しさと愛しさと切なさとあたたかさを感じてもう……
自転車で40分のところにある映画館でレイトショーをみたのですが、最初の鑑賞の時泣きすぎて若干過呼吸になり、駅の歩道橋の下で30分くらい泣きながら呼吸を整えて家に帰ったのをいまでも覚えています。
「救い」の物語でした。
あまりに辛い災害から、もし過去に戻って誰かを救うことが出来たら。
そんなこと現実ではできるわけがない、分かっていても思ってしまうことを、物語を通して展開するというのはずるさと優しさのハイブリッドだなと思います。
あったことも見たこともない、本当は存在すら知らない誰かを、救いたいという物語は、綺麗事だとか何にもならないとか思う人もいるかもしれないけれど、その想いが届くことで救われる「いま」をいきている人もいるんだなぁと思います。
瀧と三葉の間には、距離だけじゃなくて時間も離れていて、今までの主人公よりすれ違いが多い分、また結ばれない、切ない苦しい思いがあるのかなと震えたのですが、最後、東京で大人になったふたりがすれ違い、お互いに「この人だ」と思いながらふりむき、また新たな物語を始めるような瞬間がみられたのは、ここまで新海監督を追ってきて「やっと幸せをみつけたのか」と嬉しくなった瞬間でした。
ここまで壮大なストーリーを作り上げてきたふたりが、なんの記憶もなく、同じ時間、近い距離でまた新たなストーリーをつむぎ出す、というところに希望とあたたかさがあるなと思います。
ほんとうによかった……
そして本作でも空、湖、糸守町の風景は美しく輝き、新宿や四谷のごった返した様子とまた雰囲気が違ったり、瀧たちの旅の風景がホンワカした雰囲気だったりしたのもかなり救いでした。
楽しい日常があり、辛い震災の記憶があり、また日常に戻っていく、という流れが美しいなと思いました。
新海監督を君の名は。で知った人も多いのかもしれませんが、そんな人にも彼のよさがすごく伝わる映画だったなと思います。
天気の子
そしてまたしばらくして公開された天気の子。
社会人になっていた私は、この映画を観て本当に悲しい気持ちになりました。
周囲の大人がダメすぎる……!
どうしてまだ子供なのにこうして苦しまないといけないんだろう。
子供だからという理由でどうしようもないこと、できないこと、守らなければいけないルール、困った時に犠牲になりやすいこと。
いろんなことがどんどん情報として流れ込んできて、苦しくなってしまいました。
ただ、その障害や苦しさの中で、もがき、自分の立ち位置を掴み取ろうとする姿は懸命で輝いていて、そこに美しさもあるなと思いました。
子供ながらに走り回り逃げ回り、自分の今の幸せを守ろうと必死な姿に、応援したくなってしまいました。
子供達だけでラブホで過ごすシーン、この幸せはいつまでもは続かないことがわかっていながら、今は幸せなんだという姿がいじらしくて、心苦しくて、もう……(涙)
子供なんだから自分のことだけ考えていればいい、と思うのに、ひなちゃんは自分のことばかり考えていられないと思っていて、これまでの巫女たちがそうしてきたように、自分も柱となって世界を浄化させようとする、苦しみに胸が張り裂けそうな姿をみて、いい加減にしてくれ……と思いました。
そしたら帆高が、もういいよ、と救ってくれました。
結局、自分を守れるのは自分しかいなくて、自分の大切な人を守れるのも自分しかいなくて、世界がどうなっても、彼女を守りたいという気持ちで空の孤独なところから陽菜を救い出してくれたシーンは痛快で爽快で、とにかく最高でした。
映画の中では永遠に雨が降っていて、薄暗い色をしていて、陽菜は自分の責任を感じて永遠に祈っていて、ちょっと辛そうな顔をしているのに、心が晴れたような気持ちでした。
私がこれを観にいった日、ちょうど関東地方は梅雨明けの日でした。
外に出ると爽やかな青空が拡がっていて、この眩しい空が陽菜の元まで続いていればいいな、なんて思ったりしました。
新海誠という病
こうして、私の性癖がどう歪んだのか、どうして歪んだのか分からないまま、全ての感想を書き連ねました。
彼のモチーフとして
昼も夜も美しい空
現実にも通じる緻密に書き込まれた背景
光の効果による印象的な時間の流れ
すれ違いから来る儚い人間関係
水により分断される世界
がなんども印象的に作り出され、展開されていると感じています。
それを何度受けとっても暖かく柔らかく気持ちよく感じられるのは、やはり私が新海監督の作品に惚れ込んでいて、今後もずっと大好きでいたいからなんだろうなと思います。
時期尚早であることは分かっていますが、次回作もめちゃくちゃ楽しみです。
文字をこんなに綴ったのは久しぶりで少し疲れました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?