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夕暮れ鉄塔の話。

高圧電線の張られた鉄塔が列を成しているんです。
それは何処までも南へ、何処までも北へ続いて、この街を2つに分断しています。
地上には何の障害もありません。
地上には何の障壁もない、空中に目を向けなければ分からない境界線の、こちら側のことを"哀しいほう"、あちら側のことを"哀しくないほう"と僕は呼んでいます。
僕は、こちら側に暮らしていました。

"哀しい"と、"哀しくない"の境界線。

電線を流れる電流はとても強くて、わずかに電磁波を帯びるのだそうです。
僕はラジオを使ってよく人と声を交わしますが、電線の電磁波は電波の声を歪め、こちらと向こうを行き来する言葉に不都合をきたします。
それは特に夕方から夜にかけて酷いんです。通じ合えなくなることが、よくあります。

何年も前の話ですが、ある夕方、僕はあんまり寂しくて、鉄塔の麓まで自転車で行ったことがあります。そこいら辺は田んぼや畑、小高い森があるばかりで、寂しいところでした。そういうところを選んで、鉄塔は立っているのです。
僕はその鉄塔の電線をくぐれば、人に会えるのだと思っていました。けど鉄塔の麓まで来たところで……そこにはカラスも居なかったのですが……全然知らない人に会ったところで寂しさは癒えないだろうと思いました。
ラジオで交信していた人が何処に住んでるかも知りませんでした。

そうこうしている間に、夕暮れが来たのです。

夕陽を背にシルエットと化した鉄塔がとても綺麗だと、僕は思いました。
みんながそう思うかはわかりません。
僕だけが思ったのかも。
けどきっと、そう思ってくれる人が居たらいいなぁ、と、僕はその時思ったのです。
鉄塔は何処からでも見えるはずです。
夕暮れ時の綺麗さは、何処であっても変わらないはずです。
だからきっと、向こう側にも、同じ景色を見て、同じ感情を抱く人が居てもおかしくはないのです。
言葉にして誰かと通じ合えたかどうかなんて大したことじゃないと思いました。
僕は想像の中で、向こう側、"哀しくないほう"に暮らすもう1人の自分を理解しました。
それで十分でした。

その日はそのまま帰りました。

今になって思えば、当たり前の話なのですが、鉄塔は向こう側から見れば東に当たります。
だから夕暮れの景色と鉄塔が重なる景色を、向こう側の人が知っているはずがなかったのです。

それに気付いた時、僕はまた、向こう側のことがなんだかわからなくなってしまいました。
むしろ最初から、分かったような気になっていただけだったのでしょう。

最近僕は、ラジオを回すのが億劫になっていました。
雑音のないクリアな言葉を聞いても、それが信じられなくなってしまったような気がします。

あの時、僕は境界線を越えて、誰かに会いに行くべきだったのかもしれません。

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