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2023.02 散文や詩のようなもの

(1) 2023.02.19 #散文 #のようなもの


 いい手紙だと思った。
 大人の手紙。
 それか、大人の手紙でいようとした何か。

 送り先である僕への気遣いだけが、ただ淡々と積み重ねられている。君の気持ちは見えないように隠されていて。
 その書き方自体が僕には、何かを僕に察されたがっているように見えて、半分弱、じれったい気持ちがした。二度は読み返したいと思えない。面倒くさい。
 でも半分以上は、寂しい。
 それこそあの頃の僕なら、君に突き放されたような気持ちになって、「本音を打ち明ける相手として僕は十分信頼されていない」とか思って落ち込んだりしただろう。

 きっと君は、心の中の一番苦しい部分を、ただただ他人でしかない他人たちに全く理解してもらおうという希望を持ち続けることに、ようやく、一定の諦めを覚えたんだよね。
 その希望自体が君を苦しめていたということをようやく認めて、そしてその希望が、恋愛感情ではない、というのもきっと知ったんだよね。
 それでいて、君はまだ諦められないのだろう。
 自分をすっかり救済するという高い高い光の柱をいつまでも見上げている。

 僕は何とも言えない気持ちのまま、手紙をしまい、温かい麦茶を淹れた。
 舌を灼く熱と苦味が心地よく、自分の好みが年相応に落ち着いてきているのを感じた。

 青く、尖っていた君が、年々無口になっていったあの頃。
 なぜかどうやっても生きる苦しみから逃れられずにいた君から、年々「死にたい」という言葉が消え、他の表情もひとつまたひとつ消えていった頃、僕もなんだか年じゅう寂しさを抱えていた。
 その思い出の残り香を、同封されていた小さいビターなチョコクッキーに感じつつ。

 誰かが誰かに恋をするということを、考えていた。



(2) 2023.02.10 #詩 #のようなもの


雪はいっとき
白いシーツを街にかけ
なんだか良さげなムードだけ醸し出していったものの
午後に天気は雨に変わり
街はあっという間に
いつもの石の化粧顔に戻ってしまった

南岸低気圧
冬はためらいながら行きつ戻りつ

本当は冬だって
春の温もりに飛び込みたくてうずうずしているくせに
冬はいつまでも
春におうかがいばかり立てている

でももし
本当に春が来てしまったら
入れ替わりで
冬は大慌てで帰ってしまう

まるでコメディのお約束展開みたいに
おろかしい冬のばたばたした恋慕
観客のおれは
自分を棚に上げて揶揄する

傘を持っていった
濡れないようにね

駅前のスーパーマーケットで
カツ丼と 炭酸水と
自分で食うミルクチョコレートを買って

お寺の脇の静かな通学路
いくつもの制服姿
傘の列
しだれる桜の黒い枝

誰かが誰かに恋をしていた

制服のリボンがひとりだけ弾んでいて
もう1人と
手を繋いでいた
細い指先が
もう一人の手の甲を
愛おしげに何往復もしていた

進路の季節って
人生で一番視野が狭かった

ざわついた静けさと
よどんだ冷たい空
互いの本音を
スクールバッグに隠し合っている生徒たち
その中で
2人だけは実は恋をえらんでいて
本当は 違う地平を歩いている
歩調だけ淡々と周りに合わせていても
白い息と白い息は
2人の目の前で
何度も交わっているし
2人がさす傘と傘は
空中でカツン、カツンて
頻繁に口づけをしていた

春と冬の
じれったい逢瀬とすれちがいが続く2月
それはおろかしく
視野の閉じた季節だとしても

誰かが誰かに恋をするのは
とてもいい
とてもいいことだ

おれはそう口の中で繰り返し

それが心の中で
もう何も反響しないことを
確かめていた



(3) 2023.02.14 #台詞 #のようなもの


 「魚の絵を描いてください」と言われて、魚の切り身を描く子が増えている……って話、何年か前に話題になったの知りません?
 イマドキはスーパーで売ってる魚は見たことあっても、魚自体は知らなくて、切り身がそのまま泳いでいると勘違いしちゃってる子が増えてるらしいですよ。本当かどうか知りませんけど。

 イマドキの「恋」も同じだと思いません?
 実は、ちゃんと恋の実物を見て絵に描ける人が少なくなってきてるんじゃないかな?って。
 今って情報やコンテンツという形に加工された恋ばかり毎日毎日ぱくぱく消費できるじゃないですか。だからきっと私たちって加工前のナチュラルな恋というものを、ほんとはゾッとするくらい知らないんですよ。人工甘味料だらけの恋を恋だと刷り込まれているから、いざ白いキャンバスに恋を描こうとしても、切り身みたいな、普段目にしているイメージ通りの恋の模倣しか描けないんです。

 え?渡してきましたよ。
 「先輩、バレンタインですっ!」って。

 「2月14日にチョコをあげること」こそ、恋の一番美味しそうな部分を切りとってパック詰めしたものですよね。
 本当のチョコレートのベストタイミングって甘いものが欲しくなるときじゃないかな。あ。雪山で遭難したときにチョコ渡すのロマンチックじゃないです?

 ……クリスマスイブに告白して、バレンタインにチョコ渡して。
 前の彼氏にも同じことしたんです。その前も。前の前も。どの時も本物の恋だと思っていたんですけどね。
 なんだか私、いつの間にか定期的に養殖の恋を生産しているみたいで、昨日もチョコ作りながら泣きそうになったんですよ。
 好き、ってこういうことじゃないのかな?って。
 私本当は切り身の恋の絵をずっと模倣してるだけで、本当の恋できてないんじゃないかな?って。

 でもね〜。
 私、今日チョコをあげない勇気も出なかったですよ。
 これがチョコをあげなくても続く恋だ、と言える自信が持てなかったのかな。

 今日のためにチョコを作ったら、なんだかそれだけで、自分が昨日よりちゃんと恋をしているような気持ちになれるじゃないですか。
 チョコ作らないの勇気いりますよね。

 もしかしたら、世界中で恋してる人たちってみんな同じ気持ちなのかな。

 誰かが誰かに恋をしている。
 それが本当に恋かどうか、みんな、ちゃんとは分かってない。
 だけど「それが本当に恋であって欲しい」と願う気持ちがあるから、ありきたりな恋を模倣して、「本当の恋だ」と思い込もうとする。
 その願いは恋じゃないのかな。
 それも、恋の一部だったらいいな。
 それも恋の一部だったら、私でもちゃんと恋できてることになるし。
 わかんないけど。


#バレンタイン