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自分の足で、自分の目で

こんばんは!おしゃかです。
最近、自分の足でどこかに出向いたという経験はありますか?
コロナ過ということもあって、なかなか外に出るということは難しい世の中ですが、そんな方は過去にどこかに自分の足で出向いたという経験はありますか??

私は大の心配性なので、どこか旅行やお出かけをする際は、念入りに準備をするたちの人間です。 1週間前からキャリーバックを引っ張り出し、必要なものをメモに書き起こし、そして必ず前日入りすることを心掛けています。受験や就職活動でもそうでしたが、必ず前日に会場の下見、交通機関の確認、家から会場までの移動時間等、様々なことをあらかじめ想定するようにしています。

今の時代、携帯1つあれば、目的地には簡単に行けます。もちろん私も当日は携帯を片手に確認しながら向かいます。でも、携帯がなかったらあなたならどうしますか? 携帯は私たちに利便性や効率性を与えてくれましたが、その一方で時間と実体験を奪っていると私は感じる部分があります。

何かを知らべる際にも、小学時代は、辞書を広げ意味を調べたり、図書館に行って探したりをしていませんでしたか?自分で実際に足を動かすという行為は実体験を伴う自信に繋がっていたなと私は思っています。
あの時、図書館でこんな発見をしたな、借りようと思っていた本が貸し出し中で、せっかく図書館に行ったのに、、、受付の人がすごく優しくしてくれたなだとか、特別なことではなくて、日常的なことが、自分の行動と紐づいていたりしていたはずです。今や小学生から自分の携帯電話を持っている時代です。何かを調べる際は、携帯を使えばよいでしょうし、必要な連絡もすぐに取れます。でも自分が体験したような泥臭い経験(自分の足で図書館に出向く等)は、今の世の中ではどこか毛嫌いされているような気がします。

効率化がすべてなのか?

効率が良いことはすばらしいことです。作業効率が良い、勉強の効率が良い、そして上手くやっている人は効率的だと思います。でもその裏には努力があることがどこか軽く見られている気がします。最初から効率的にできるなんて人はいません。

私は効率的であるのは理想だと思いますが、効率的になるのは不可能だと思います。(日本語が下手ですいません。) 効率的にできていると思っていても、まだ改善の余地があったり、もっと賢くやっている人がいたり、結局何をもって効率的なのかは答えがありません。自分がやっている過程の中で、プラスマイナス面を理解し、もっとこうしようと改善できる。その過程こそが、自分の成長に繋がると思いますし、やってよかったなと思う実体験だと思います。最初から効率的である必要はありませんし、最初からこれがすべてだと思ってはいけないと私は思います。

便利な時代だからこそ、自分がどのように行動するのかが人生を豊かにする1つの方法だと私は思っています。ネットに頼るのもいいですが、たまにはネットから離れて、自分を見つめてみたり、地味な作業を大切にできる人間でいたいなと思います。

今日も読んでくれてありがとうございました。また次回。

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