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働き方改革に「子どものため」はなくていいのか?

はじめに

 先日、オレが書いた「noteを書き始めた理由」の記事が50スキをいただきました。

自分が書いた記事にこんなに反響をもらえるとは思っていなかったので、とても嬉しいな。これからも、なんとか自分に負けず、言葉を紡いでいければと思うので、応援してやってください。なんかTikTokが2日間位おすすめにのらなくて、動画が回らないのでダメージ受けてるけど、頑張ろうと思います(笑)
 最近Twitterをみていると、「働き方改革」の名のもと、部活やめろー、体育大会やめろー、学級通信やめろー、水泳指導やめろー、と何かにつけてやめろと言いたい人種が溢れています。「やめろ族」の人たちが言っていることも、一定程度は理解できるけど、なんとも残念で、滑稽に見えてしまうのも事実。今日は「やめろ族」に感じる違和感を書いておこうと思います。個々の内容、例えば部活についてなどは、重めの内容になるので、また別立てで、記事にしていきます。

「やめろ族」の違和感

1 いやがる人がいる

 体育大会をやると体調をくずす生徒がいるから、やめた方がいい。運動を苦手とする生徒の足が遠のくからやめたほうかいい。そんな主張を目にします。オレは集団でやる以上、ある程度の我慢は必要だと思うし、最大公約数的な選択のしかたをせざるをえないと思う。各クラス2.3人体調をくずすから、120人が我慢するってなんかおかしくないか?会社でプロジェクトを立ち上げるとき、一人でもいやがったらやめるの?なんかおかしい。教育的意義と思い出作り両面から価値があることすら、ひとりの感情でなくなるとしたら、この世から集団をなくしていただくしかなさそうだ。

2 先生の多忙

 教師は多忙だと言われる。これは完全に嘘とは言わない。確かに忙しい。その上、教師には残業代が出ない。でも、オレは民間に勤めている友達よりも、多くの時間を娘と過ごせている。娘が生まれてからというもの、残業時間は多くの月で20時間もない。確かに今は部活を見ていないから、それは大きい。でも、生徒指導主事として、校則改定にむけて、さまざまな資料を作り、出張にもいった。今でも「長く学校にいることが美徳」みたいな感じもあるのは事実。ここの意識改革をし、効率よく仕事する術を身につければ、もう少しやりようはある。なんなら、内容を削るだけでなく、教師を増やす選択肢をとればいいよな。

3  こども目線の欠如

 なにごとも偉そうに語る「やめろ族」はもう学生時代は終わった。自分は部活や学校行事で、なんらか楽しみ、思い出を残したはずだ。もう中学校に通うことはない。現場にいればわかると思うが、こどもたちは行事を楽しみにしている。机に向かうだけじゃない学びが、そこには山ほど転がっている。これに、価値があると思えないなら、学校ではなく、学習塾に勤めた方がいい。いつもとはまた違う子どもの顔をみる。そのために、多少の労力を払うことにオレはためらいはない。

おわりに

 勘違いしてほしくないのは、このままでいいといっているわけではないということ。もちろん見直し、再検討し、喧々諤々議論すべきだ。教師のなりてがいなくなっているのも事実だしな。でもそれと同時にこどものためという言葉をバランスとっていかないと。この言葉を使うと「議論にならない」「だから変わらないんだ」という人がいるが、変えちゃいけないものもあるからな変えることだけが、進むことだと思わないでほしい。

それでは、今日も一緒にいい日にしよう

おまけ

https://vt.tiktok.com/ZSdX2KQ4b/?k=1

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