見出し画像

人生後半の”生き方”を決める

今日で44歳を迎えた。
改めて感じるが、人生の流れは早い。
人生90年とすれば、
あっという間に半生が過ぎた。

大学・就職浪人など経たので、
社会に出てちょうど20年。
今の職場に勤めて20年。
節目の20年。


節目という事もあり、
今後の人生についての想いがよぎる。

どのような人生を過ごしていきたいか?
いつまで働き続けたいか?

自分に問いかけてみると、
「他者への貢献による人生の充実」
との声が返ってきた。

そして、生涯現役で役に立ちたい。
最低でも65歳までは働きたい。

そうなると、仕事ができるのはあと約20年。
ちょうど折り返し地点に到達したことになる。


人生の後半生をどう生きるか?


今までと同じサラリーマンを続けるのか?
新たな道を進むのか?


サラリーマン生活が嫌かと問われれば、
Yesが半分。

上から指示されたままに仕事をこなす。
果てない残業、休日出勤、
理不尽な要求・クレームへの対応など
たくさん厳しいことはあった。

一方で、それを乗り越えてきたからこそ、
今の自分があり、大きく成長させてもらった。
それは間違いない。

でも、
「今後もこのままの仕事を続けるか?」
「このまま続けて、後悔しないか?」


そう自分の魂に問うと、
「次のステップへ進みたい」
「今までの経験を活かした
  新たなステージへ進みたい」
そんな心の声が返ってくる。

自分が今まで学んだ経験とスキル。
そういったものを活かしながら、
同じ悩みを抱える人を少しでもフォローしていく。


スケールや届く範囲は限られるてしまうが、

自分にしかできないこと、
自分ならではの分野
で、
貢献していきたい。


組織で働いていても、
もちろん独自性は出せる。
けれど、最終決定権は上司であり、
トップが判断する。

仕事についても
自分が選択できるわけではなく、
与えられた仕事をこなすことが
サラリーマンの宿命。


もちろん、仕事を生み出すことより、
与えられる方が簡単でもあるが、
それって、「自分」以外でもやれること。


自分がいなくなっても、
変わりの職員が対応できてしまう。
それって、ラクと感じるかもしれないですが、
一方でとても寂しく感じる。


必要としているサービスが届けられるという点ではもちろん大切。
ただ、自分の存在意義について問われれば、
疑問符が付く。


そこに、満足できていない自分がいる。

安直かもしれないけれど、
人生の最期には、
「自分の人生をやりきった」
「満足できる人生だった」
と言い切りたい。

果たして、今のままでそれが言いきれるのか?


起業を目指す仲間の表情


起業塾で起業を目指す仲間は、
本当に活き活きしている。

皆それぞれの事情があって起業を目指し、
それぞれの課題で悪戦苦戦しているが、
それでも、”活き活き”している。

与えられた仕事をこなすための姿勢とは
明らかに違う。
その違いは、自分の目指したい人生ビジョン
を持っているからだと思う。

仲間同士、活動の状況を聞き、
切磋琢磨しながらも、
自分の人生を生き抜きたいと
必死で取り組んでいる。
きっと、日々を充実して過ごしている。


未来に向けて


今後どう生きたいか?
そう問われれば、もう自分の心の中では結論は出ている。
次のステージへ進むこと。

あと20年といわず、生涯現役で働き続けたい。
組織の一員として働いていれば、
否が応でも定年を迎え、
強制的に「やりがい」も奪われてしまう。

そして、時間の流れはあっという間だ。
ついこの前まで、30代でまだまだこれから
と思っていたのに、
気付けば、40代も半ば。

一つの節目として、決意表明を今一度。
さらに人生ビジョン、
目標に向けての歩みを早めるために。
そして、自分の人生を充実させるために。

自分の意志、意図を発することは何より重要。
思考は現実化するものだから。
意図を放つことで、実現に

そんな決意を新たに、
また一歩ずつ進んでいこう!
そう思う節目な一日。

よし、明日もまたがんばっていこう!

娘からの誕生日プレゼント

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?