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サザエさんシンドロームへの処方箋

夏休みが終わる日を、世界の終わりのように感じる子どもたちがいます。学校に居場所のない子にとって、夏休みが終わるのはそれだけの大事件であり、9月1日に命を絶つ子どもたちが毎年います。当然そういう子どもたちを救う必要がありますが、まず救われるべきは大人たちの方かもしれません。

日曜夜の憂鬱

日曜の夜、サザエさんの音楽が流れると、いつも切ない気持ちになっていました。僕は子どもの頃から学校に合わず、ずっと"消極的登校"をしていました。だから、長い1週間の始まりを予感させるサザエさんのエンディング曲を、落ち着かない思いで聞いていました。

この気持ち、「サザエさんシンドローム」と呼ぶらしいです。

でも、子どもだけでなく、大人だって切ない気持ちであのメロディを聞いている人は多いはずです。

ハレの日の高揚感

長く続く夏休みは、退屈だったりもしたけれど、それでも子ども時代の僕にとっては祝祭空間でした。家族で旅行に行ったりすれば、まさにそれはハレの日でした。

でも、楽しみにしていたハレの日が終わると、夏休みの終わりがカウントダウンされはじめます。日曜夜の憂鬱を、何十倍にも濃縮した憂鬱です。

ハレの日がどんなに楽しくても、ケの日(日常的なごく普通の日々)が楽しくなければ、何の意味もない──そう思いました。

ケの日を変えていこう

ハレの日は素晴らしいけれど、大切なのはケの日です。まずこれをはっきりさせる必要があります。ハレの日の高揚感はケの日の憂鬱の代償ではないし、仮にそう位置付ければそれは人生に絶望をセットアップすることになります。

それでは、ケの日はどうやって変えていけばいいのでしょうか?

引っ越しをするとか会社を辞めるとか離婚をするとか、そういう大きめのアクションで日常を変えようとする人たちもいます。それはそれで構いませんが、自分自身が変わらないと、引っ越ししたり転職したり再婚したりしても、結果的に同じような生活をすることになりかねません。

ささやかだけれどパワフルな変化とは?

例えば、ハレの日に感じた「幸せ感」を因数分解してみてください。

「十分な時間」や「自然の中で過ごす体験」でしょうか、それとも「大勢の人々と囲む食卓」や「じっくり語り合える時間」でしょうか。

そのなかで大切にしたい要素だけを抽出し、ケの場で実現させるように取り組みます。「自然の中で過ごす時間」を渇望しているなら、週に1回、定例的にそういう場を持ちます。「大勢の人と食卓を囲み、じっくり語り合う」ことを求めるなら、金曜夜の食事はどこか場所を借りて大勢で食べることも出来ます。

大事なのは、日常のなかに定例的に組み込むことです。

見せかけの大きな変化よりも、週に1回程度のささやかな変化が、ケの日々を充実させる足がかりになります。大人がケの日の充実を諦めることは、子どもたちにも同じような諦めを強いることになります。ケの日をもっと幸せな日々に変えましょう。

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