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01:コロナが呼び覚ます身体/prologue

この「息苦しさ」に慣れることが、
アフターコロナを生きることではない──。

むしろ、コロナ以前からあった
「透明な息苦しさ」に気付き、
それを手放していく契機にしたいのです。


"新しい生活様式"で窒息する身体

新型コロナウイルスがやってきて世界は一変しました。ワクチンではもう世界が元に戻らないことに、多くの人が気付いています。

アフターコロナの世界では、いままでの「当たり前」が通用しなくなりました。マスクを手放せない「新しい生活様式」は息苦しく、矛盾や葛藤に満ちています。

東京に最初の緊急事態宣言が出た2020年4月。静まり返った東京都心で寝起きしながら、僕は言葉にならない息苦しさを感じていました(そのときのことは下の記事に詳しく書いています)。

自宅にずっと籠もる生活、マスクをして互いの表情が見えない生活、色々な計画が崩れて先行きが見えない生活──息苦しくって当然だと思うのです。

ただ、ここで注意深く扱いたいのは、「息苦しさ」の正体です。

先程書いたように、緊急事態宣言下の東京で僕は息苦しさを感じました。それ以降も、外出しようとマスクを着けた瞬間、ふと未来に思いを巡らした瞬間等々で、息苦しさはあるときは鮮烈に、あるときはそっと隠れるようにして、いまも僕と共にあります。

あるとき、「この息苦しさは、本当はコロナよりもっと以前からずっと僕のなかにあったのだ」という直感がやってきました。

確かにコロナが来て、息苦しさを感じている。でも、この息苦しさは、僕が長年「普通の暮らし」をする中でずっとなかったことにしてきたものが表面化してきただけなのではないだろうか。
もちろんこれは僕個人の話ですが、「そう言われると、私もそうかも」と共感してくれる人もいると思うのです。

"新しい生活様式"が矛盾や葛藤を生む構造

日本政府が「新しい生活様式」と言い出したとき、とても驚きました。生活様式って、政府が「来週からこれでいきます!」と発表するようなものでしょうか。

価値観と生活様式.001

"ニワトリとタマゴ"的な補完関係はあるものの、「生活様式」の土台にはそれを生み出す「価値観」があるはずです。古い価値観を据え置きにしたまま新しい生活様式にシフトすれば、そこに矛盾や葛藤が生じるのは当然です。

そもそも、生活様式というのは上から押しつけられるべきものではありません。生活様式を押しつけられるのは奴隷的存在です。無自覚なまま奴隷化してしまった人も多いのではないでしょうか。

思考で解決することの行き詰まり

矛盾や葛藤があると、人は解決を求めて考えます。でも今回はどうでしょう? コロナ禍で色々な問題を解決しようと考えたのに答えが出せなかった──こんな体験をした人が多いはず。

なぜなら、アフターコロナの日本社会では、従来の「当たり前」が通用しなくなったからです。それはつまり、「こうすればうまくいく」という従来の考え方・やり方が有効でなくなったということ。私たちはいま、過去の経験を活かしにくい世界を生きているのです。

構造的に考えれば、まったく新しい状況に対して古い価値観と古いやり方でアプローチしても、良い結果が得られないのは当然だと分かります。古い価値観にしがみつこうとしている人もまだとても多いですが、やがて行き詰まるのではないでしょうか。

それでは、考えるだけではたどり着けない「答え」をどうすればつかめるのか。「当たり前」から発想するのではない「自分なりの解決策」をどう導けばいいのか。この連載では、そのヒントを私たちのもっとも身近にある「身体」に求めます。

「息苦しさ」が伝えるメッセージとは?

息苦しさを感じているのは、「自分自身の本当の望み」と「自分自身の言動」が食い違っているからです。しかもそのことに気付いていない。
今回、そんな僕に対して、僕の身体が「息苦しさ」という形でメッセージを送ってきました。「ねぇ、本当は分かっているでしょう? ちょっとずれてるよ!」と。

身体感覚は、もうひとりの自分からのメッセージです。

いまあなたの身体は、あなたにどんなメッセージを送ってきていますか? 一般的な社会生活を送っている多くの人が、自分自身の身体を軽視するか、完全に無視しています。
近年はヨガとかマインドフルネスとか身体性がトレンドキーワードになりつつありますが、率直に言って、まだ鈍い身体が概念と口先だけで身体性を説明しているに過ぎません。まだほんのおままごとレベルなのです。

あなたもこの冒険のカンパニー=仲間に

僕自身が自分の身体に関わりを持ったのは、もう30年近く前のこと。「からだの声を聴くワークショップをやってます」と言うと、「ワークショップ? 作業着とかを売っているお店ですか?」と真顔で言われた時代です。

まだ20代前半だった僕は、身体的世界にダイブし、それを自分の生き方の基調に取り込みました。と同時に、そこに集まる人々の「世捨て人的ヒッピー的私はそのへんの"普通"の人とは違うのよ的雰囲気」に、魅力を感じつつも矛盾や疑念を感じました(面倒くさいことは他の人に押しつけ楽なポジションを取っているように見えました)。
そのため、「世捨て人グループ」と「きちんとした一般社会グループ」のいずれか一方だけに属することを拒否し、その狭間に立ち葛藤を生きることを仕事(れんげ舎の活動)として昇華しました。このプロセス、僕には大冒険でした。

…なんて、ちょっとすごいでしょ風に書いてしまいましたが、その結果がコロナ禍で気付いたこの「息苦しさ」です。冒険から遠ざかったことを認めるしかありません。情けない。もう一度仕切り直しです。

アフターコロナの日本では、調べても考えても答えなんて見つかりません。社会的に何かを成す際には考えて意志決定をする必要がありますが、どちらに向けて歩き出すのかは、自分の身体に尋ねるしかないのです。
身体には、あなたの知らない「もう一人の自分」がいます。その自分を解放することは、人生を冒険に変えることを意味しています。

アフターコロナを自分らしく生きるとは、古い価値観に縛られず自分の身体の声を聴き、新しい冒険に出かけること──そう考えて、僕はもう一度冒険に出かけます。
この連載は、身体的世界の広がりを紹介しながら、この真新しい世界で本当に自分らしく生きるための手がかりと、共に実践する「カンパニー=仲間」を得るためのものです。

必要な持ち物はあなたの身体だけ。さっそくからだをめぐる冒険の旅に出かけましょう。


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長田英史(おさだてるちか) / NOT SHIP
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