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心の扉をこじ開けないで

あるワークショップで「もっと自分をさらけ出したら?」と言われたAさん。でもAさんは、心の内をさらすのは良いことだとは思いつつも、「タイミングは自分で決めたい」と思って言いませんでした。「なんだか先生にあたる人が、自分の力を示すためにさらけ出させようとしているように感じた」というのです。

「長田さんはどう思いますか?」というAさんからのご質問への回答です。

ざっくり言えば「出す」のは良いこと

心にとっても身体にとっても、ざっくり言えば出さないより出した方が健康にいいようです。

とはいえ、質問者のAさんの言うように、「いつ出すのか」という問題があります。食べものなら、食べて消化され腸にまで到達したら、「出した方がいい」ですよね。でも、その手前で出すと、身体には負担です。毒でないなら、消化した後が出すべきタイミングですよね。

つまり、基本的に「出した方が良い」とはいえ、タイミングは大事だということになります。

さらけ出させたい“先生”の思惑

こういう心理系のワークショップの中には、「意識の高揚感」が利用されがちな場があります。

例えば、誰かが胸のうちにある悲しさや苦しさを泣きながら語る。人の内面から出てきた言葉には力がありますから、それを聞いた人たちも影響されます。

ある人は、「自分にはこんな思いがある」と共感して内にあるものを話すかもしれません。別の人は、感情移入してもらい泣きしたり、感動したりするかもしれません。

このような場では、感動的な映画を観たときのような「意識の高揚感」が得られます。簡単に言うと、盛り上がっちゃうわけです。でも、「意識の高揚感」が得られたとしても、それはその場やファシリテーター(あるいは先生)が優れているということにはなりません。

感動ってそんなに重要じゃないかもよ?

「意識の高揚感」が得られると、人は何か特別なことが起こったように錯覚します。でも、人は映画を観ただけでも感動しますし、映画が始まる前の予告編やCMを観ただけで感動しちゃうことさえあります。人って、けっこう簡単に感動しちゃうものですよね。

しかし、感動して泣いても映画館を出てしばらくすれば忘れてしまうし、生活は変わりません。感動は変化を保証しません。別問題なのです。

こうした客観的な認識の上でさらに注意しなければいけないのは、「意識の高揚感」はドラッグのような快感があるということです。生活が充たされないと、それに中毒して、次々と「意識の高揚感」を求める場合もあります。

自分の内面は安全な場でさらそう

Aさんの体験したワークショップがどのような場だったのか、詳しくは分かりません。でも僕は、「いまじゃない」と感じて、「みんなでさらけ出しちゃおう」という感じの流れのなかで、自分を守ったことは、正しい選択だっったと思います。

この場合の正しさとは、本人がどう感じるのか次第だからです。

勇気を出すために背中を押すのと、「さらけ出せ」と流れのなかに飲み込むのは、似ているようで全然違います。この相手じゃない、このタイミングじゃないと思ったら、そうなのでしょう。

また、仮に「全てをさらけ出せた」と感じたとしても、必ず「その次」があります。良くも悪くも終わりのない世界。適切な場を選ぶことは、自分を大切にすることだと、僕は思います。

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