ダイバーシティ?まずは内なる多様性を生きよう
多様性を認めましょう──そう叫ばれるようになりました。会社組織においては、多様性を認めることがコストだった時代から、多様性を内包することで必要な競争力を確保する時代へと、移行が進んでいます。
でも、多様性ってなかなか煩わしいですよね。自分から遠く離れた立場の人の考えていることって分かりにくいですし。にもかかわらず、無理して「多様性を認め合おう!」なんてと言うと、ものすごく嘘っぽくなってしまったり…。
自己理解が浅いと他者理解はもっと浅い
立場が近くても遠くても、他者を理解することってすごく難しいことです。それでももし、他者を少しでもより良くより深く理解できることがあるとしたら、それは自分自身を理解できているからではないでしょうか。
他者を理解できる度量が、自己を理解できる度量を超えることはないと、思うからです。
自己理解というのは、社会的な自分自身に対する理解ではありません。自分の内奥、普段はあまり見せないような部分も含めて、自分自身をよく見つめ、それを知り、かつ認めているということです。
繊細に感じることで出会える自分がいる
自分を知る行為って、高尚ものではなく、自分に対して際限なく素直になることだと思うんです。本当のところは、こう思っている。本当のところは、こう感じている。自分でも困るんだけど、それでも自分はこういうところのある人間なのだ──。
このような、自分のなかにある「どうしようもなさ」をどれだけ知っているかが、自分をどれだけ深く知っているか、ということにつながるのではないでしょうか。
「自分」って一人じゃない、大勢いる
僕は、自分を見つめることを、人並み外れてやって来ました。その経験を通してつくづく思うのは、自分ってものすごく多様だということです。
あんな自分もいれば、こんな自分もいる。自分ってこれで全部だと思っていたら、全然知らないような自分が「どうも」と出てくる──多様性というのは世界のなかにあると思われがちですが、それ以前に自分の内側にあると言えるのではないでしょうか。
世界の多様性を認められる冷静さや度量を備えるためには、やはり自分の内なる多様性を見つめ、認め、それを生きることが必要だと思うのですが、いかがでしょうか。
コンテンツが役立った!共感した!という方は、よろしければサポートをお願いします。大変励みになります。noteでの情報発信のために、大切に使わせていただきます。ありがとうございます。