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どんな大きな活動も始めはたった一人の違和感から

社会起業や社会貢献活動が改めて注目されています。新しいアプローチが増えた部分もありますが、形骸化しファッション化して堕落した部分もあるように感じます。

そもそも「社会のため」って、どういうことなのでしょう?一般企業だって納税し、社会を支えています。極論のようですが、人は存在しているだけで社会貢献をしているとも言えます。その中で、「社会貢献活動です!」と自分から言っちゃうのって、なんだか過剰なことのようにも思えます。

様々な社会活動がありますが、どんなに大きな活動だとしても、一番最初はたった一人の「あれ?」という違和感から始まっているはずです。

メジャーな活動もかつてはキワモノ扱い

環境問題、セクシュアリティの問題、いまでは当たり前のように論じられ、そうした「社会課題」を解決するために、数多くの活動が存在しています。

でも、そうした「メジャーな活動」も、かつてはキワモノ扱いでした。ちょっとおかしな人たちが、おかしなことを主張して、おかしなことをしている──そう見なされていたのです。

僕が30年程前に、「普通の子ども」を対象にした居場所づくりを始めた時も、(今では多くの人が想像出来ないと思いますが)思いっきり冷遇されキワモノ扱いでした。近年は「子ども食堂」なんかも増えましたが、それと同じかそれ以上のことを30年近く前にやっていましたが、「それ、意味あるの?」みたいな感じでした。

違和感の正体は潜在的な社会課題

そうした活動が生まれるプロセスというのは、「活動のはじまり」を尋ねることで知ることが出来ます。僕の知る限り、多くは「なんかおかしくない?」という誰かの違和感、悲しみ、怒りでした。

社会課題には2種類あります。

・認知され、顕在化した社会課題
・潜在的な社会課題

後者がどのように「知覚」されるかというと、それは、生活者の違和感です。当たり前のように暮らしていた人の心身のセンサーが、「あれ?」とキャッチする。あるいは、誰かの「悩み」として出現し、「私も同じように悩んでる」「私も!」という形で認知されていく。

生活者の悩みとか違和感としてキャッチされたもののなかに、潜在的な社会課題は存在していると考えることが出来ます。

違和感を無視しないで

「15年前です。周囲の人も、実家の母も、女が一人で子育てをするのは当たり前だし、それが幸せなんだ、みたいなことを言うんだよね。でも、わたしは社会から切り離され、子どもと二人っきりになるのは苦痛でしかなかった」

子育て支援を行っている、ある大きなNPOの代表の方の言葉です。

「はじめは、私がおかしいんだ!と思った。でも、勇気を出して色々な人に思いをぶつけてみると、同じ境遇の人に出会えた。そこから変わりました」

悩んで孤立すると、人は「自分が悪い」「自分がおかしい」と思うようになります。でも、同じ悩みを持つ人と出会い、世の中にはきっと同じ境遇の人が大勢いるはず!と考えたとことから、その活動は始まっています。

ワンオペの子育てが社会問題だと認知されつつありますが、15年前は違ったのです。
あなたの感じている違和感、悩み、怒り、悲しみは、あなたの個人的なものかもしれませんが、社会的な問題として捉える必要のあることかもしれません。

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