有益な情報は自分の内側からやってくる
情報を制する者は戦いを制すと言われますが、情報収集するときに、「自分の内側からの情報収集」を忘れていませんか? 外ばかりに目を向けて仮に何らかの戦いを制しても、自分らしく幸せになれるとは限りません。
情報収集ばかりしていて大丈夫?
情報を集めることが奨励される世の中です。日経を読みましょうとか、NewsPicksに入りましょうとか、ビジネス書などを読みましょうとか、とにかくインプット、インプット、インプットです。
とはいえ、インプットが意味を持つのは、それをアウトプットにつなげられた場合だけです。先日も「エンドレスで学ばずにいまの自分が出来ることをやろうぜ!」という話をしましたが、ただただ情報集め&インプットばかりを続けていても、意味がありません。
忘れられがちな自分の「内側の情報」
本やニュースやネットからの情報などは、どれもこれも「自分の外側」にある情報です。でも、もっとも有益な情報が蓄積されているのは、「自分の内側」にある情報です。
自分の内側には、次のような超有益な情報が蓄積されています。
何が好きで、何が嫌いか
何に幸せを感じて、何に感じないか
ある対象に対し、どう感じているのか
どちらの方向に進みたいと感じるか
どれもこれも、ものすごく重要ですよね。こういう「自分の内側にある情報」にアクセスして処理することが出来ないと、世の中で言われていることを鵜呑みにしたり、鵜呑みにしないまでもただひたすら比較したり分析したりを続けることになります。
「本当のところ、自分としてはどう考え、どうしたいのか?」を明確に出来ません。詳しくなれるだけで、自分なりに使うことが出来ないのです。
「自分の内側の情報」にアクセスするには?
自分の内側にある情報にアクセスするには、まず「どう感じるのか?」という問いを立てる必要があります。「感じたこと」を探る場合、過去の出来事に対してと、目の前の状況に対してで、アプローチ方法が異なります。
過去の出来事に対しては、「あのときどう感じていたのか?」を思い出す作業が必要です。評価したり、原因を分析したりするのは、感じたことを探るには妨げになります。客観的になって、記憶を辿る必要があります。
目の前の出来事に対しては、他者との対話を停止し、「いま何を感じているのか?」に注意を向けます。この時も分析的なアプローチはNGで、客観的に自分の状態(身体感覚や感情の波など)を観察することになります。
もう少し詳しく知りたい方は、下記の記事もご参照ください。
「感じたこと」をもっと尊重してみては?
対象に対して「どんな感じがするのか?」は、自分では選べません。観察して、受け止めるだけ。内側から情報を収集するというのは、そうした行為になります。
考えるのは得意だけど、感じることをキャッチするのは苦手──そんな状態になってしまうと、「一般的な意見」は言えても「自分自身の意見」を確立出来ません。それはつまり、自分の幸せを追求出来ないということにつながります。
「自分らしさ」と簡単に言われますが、それを実現するためには、外側から情報を集めるだけでなく、内側からの情報を集め、徹底して尊重する態度が必要です。
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