「批判はやめよう」をやめよう
ワークショップや様々な対話の場で「批判はやめましょう」とルール設定されることが増えました。誰かが相手を否定するような発言をして、その場がフリーズするのを避ける手立てなのでしょうが、批判を封印しては本当の意味での建設的な対話は生まれません。
本当の批判には、破壊ではなく創造のエネルギーがあるからです。
軟弱な「対話系ワークショップ」の数々
「批判をやめましょう」というグランドルールが設定されたワークショップみたいな場が増えました。
おそらく、もともとは「相手の発言を否定するのではなく、自分は自分として自分の考えを述べてください」という意味合いだったのが、「感じの悪い話し方やめてね」「ほのぼのと平和な感じでやってね」みたいなニュアンスに変遷したのではないでしょうか。
要するに、場が軟弱なのです。
ちょっとしたことで成立しなくなるような場だ、人々の行動を「お約束」の範囲内に制限することで、やっと安定します。とはいえ、その安定は、自由さや創造性と引き換えに得られたものです。
もちろん、誰かの発言に対して「何もかも間違いだ」「あなたはバカだ」「もう黙れ」みたいなことをいう人がいたら、話す気がなくなります。でも、場のつくり手ならば、「そういう人にどう対処すべきか(そういう人をどう無力化するのか)」ではなく、「なぜ、そういう人がここに来たのか」を考えるべきなのです。
本来の批判には創造のエネルギーがある
「みんな同じ意見だよね」
「みんな同じ方向性だよね」
思いを同じくする人たちがいつも同じような意見を出し合う場にも、価値はあります。励ましや楽しさを受け取ることも出来ます。
でもそれは、批判を封印しなければ成立しないものではないはずです。ただ否定するだけの言動と違って、本来の批判には創造的なエネルギーがあるからです。
自分だけでは「これでいいだろう」とか「どうしていいのかわからない」と考えていたことが、批判的に吟味で揺り動かされることで、一人だけでは辿り着けない結論や認識をつかみ取ることが出来ます。冷静に批判することには、そうした効用があります。
場をつくる人は、批判によって場が揺り動かされることを過剰に恐れず、うまく活用する道を探ってみてはいかがでしょうか。
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