見出し画像

ひとはなぜ「認められたい」のかを読んで

皆さんこんにちは!

前回の投稿でお伝えした通り、

今日はこちらの本の紹介・感想をお伝えします。

ひとはなぜ「認められたい」のか
〜承認不安を生きる知恵〜

著者 山竹 伸二
山竹さんのプロフィールはこちらからご覧になれます。

出版社 ちくま新書

この本のみどころ
①幼児から高齢者までに至る「認められたい」欲望の形成を知る
②承認不安に対する考え方、ケアを学ぶ
③個人の自由と社会の承認の葛藤があること

この本からの学び・気づき 

①思春期から「空虚な承認ゲーム」に参加させられている
クラス内で複数人のグループに分かれて、グループ内に合った自分の役割、言葉の発言で安定的なポジションにつく。
うかうかしていると所属していたグループもしくはクラスから孤立し、居場所を失う……。
→周囲に合わせ続けながらキャラを演じているため、本来の自分を見失って"自由"に行動しづらくなる。

②「承認」という言葉にも様々な「◯◯承認」という言葉に分けられる
何を認めるのかに対して大きく「存在の承認」・「行為の承認」に分かれる。
誰が認めるのかに対しては「親和的承認」(親密な関係者)・「集団的承認」(所属集団成員)・一般的承認(世間一般の人)。
自分で自分を承認する「自己承認」もさらに「普遍的自己承認」「規範的自己承認」と分けられる。

③「承認不安」は消えることはない
どんなに人生が豊かになっても、今自由に生きることができても心の片隅に誰かに何かに認められたいという無意識に反応するのもあって承認不安は消えていかない。
「承認不安」に対してどう関わるか、どう向き合うのか、どう付き合うかで承認と自由を両立して生きていくことができる。

感想
この本を通して思い出したのは、
幼少期からイイ人で見られたい。失敗するのは良くないと思い込んで生きてきたから自由に生きることができなかった。
相手がミス、失敗をした怒られることをしてのを見て上から目線になっていたときもあり、今となってはそんな過去の自分がカッコ悪いと思った。

承認不安が大きいか小さいかは結局、親の育て方をはじめ、教育、誰と一緒にいるかによって明暗が分かれると思った。
酷くなれば心の病を患い、さらに酷くなれば犯罪まで犯してしまう危険もある。

高齢者が増えているこのご時世、世の中のスピードがデジタル化の普及で速くなり、若者から見ればかなり遅いから、表面上の行動だけで判断してしまうと互いに「承認不安」が大きくなるからコミュニケーションを取ることで「承認不安」に対する「相互ケア」が生まれて、お互いに承認不安も解消されていくなと思った。

自分を客観的に見ることによって、「認められたい」ような思考になっていないか?「承認不安」を感じている?ことを判断して適切な対応ができると思った。

※自発的に「ボランティア」「社会貢献」「推し活」をすることによって承認不安も解消されていくと長倉さんがおっしゃってました。

大きい視点で言うと(超個人的主観になります)
今の岸田総理大臣は、同盟国のアメリカに認められたいためにとんでもない行動をしている気がした。
去年から日本に反撃能力を持たせるために防衛費を上げるために増税していく発言をして、それに対してアメリカも応援する形になっている。
過去の総理大臣の実績を見ると、結果が良い悪い関係なく何かしら作ってるのに対して岸田総理は目立った実績がつくれていないから無理矢理行動してるようにも見える。
何かよからぬ方向に一歩ずつ進んでるような気がした……。


気になった方は是非手に取ってみてください。

今日はこの辺りで
へばなー

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?