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ど正論と適当理論

お葬式から
珍しく弟と、離婚した両親がそろった。

だから、
二次会と称して、
わたしと弟と父で飲むことになったのだが。



わたしはやっぱりど正論なのだろうなぁと思う。

どうしても曲げられない軸がある。
信念と言ってもいいし
「わたしという揺るぎないもの」と言ってもいい。


それは、
健康第一なことと、
人を馬鹿にしないこと。
そして、
適正利益の追求。

だから、
子ども相手の仕事や
嘘をつかない仕事はできるが、
調子が良く誰かを転がしたり
いい感じにおべっかを言ったり
本音と建前を使い分けることはすごく苦手だ。


対して

父と弟は営業なのだ。

本音は隠して
うまく取り繕う。
本音と建前がうまい。

どうしても
わたしには嘘つきに見えるのだが、
普通の大人の社会は、これが縮図なんだろうなぁ、とも思う。


だから、
理解はできる。
受け入れもする。

でも、
わたしはしない。したくない。
内側に入れた人たちには正直にいたいし、
本音が合わないなら、
時間がかかっても妥協点を見つけたい。



きっと、
わたしなんかより
弟や父のほうが商売はうまいのだろう。



物事にはさ、
表と裏があるんだ。

真っ直ぐすぎれば
出世もできないだろうし
清濁飲み込んで、
濁りに染まっていくんだろう。
そこから、
マネーゲームに、はしったり
人生を憂い、あきらめたりもするのかもれない。
でも、この辺りは、わたしの想像からでない。
だって、わたしには無理だもん。


どうしても思ってしまうのだ。


シュウ4デノミアルキ
脳手術マデノアイダ1ヶ月間
不安ダカラト、サラニノミアルキ
心配シテクレト他人ニイイマクリ
不安カラニゲル

馬鹿じゃないのか?

と。


不安と向き合い、
できる努力はして、
それでも不安なら大事な人にだけ吐露する。

それが粋ってもんだろう、と。


己の食習慣と向き合い、改善してこそ
健康なのだ、と。
楽しみと改善の間を探して、
自己変革こそ、おもしろいじゃないか!
と。


億を動かすプレッシャーも
責任も、高揚感も、
マネーゲームの楽しさも
わたしにはわからない。

適正利益の追求や
人のために働く喜びなど、
そういった理想論ならわかるし、
それを地道に行ってきた自負もある。


どちらがいいとかじゃないけどさ


前者の方が稼げるって
知ってるんだけどさ

後者のほうが息がしやすくて
お天道様に顔向けできるって
思ってしまうんだよ。


日本酒2合飲んで
ピーチソーダ3杯も飲んでから
はなす話じゃないね苦笑



他愛もない酔っ払いの戯言として
皆様の心では、
そう処理してくださいな。


最後までご覧いただきありがとうございました!

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