見出し画像

文章を書きたい人へ:昔の私の著作「車椅子からウィンク」を読んで思うこと。

「障がい者モノはベストセラーになる」?

先日「こんな夜更けにバナナかよ」の著者、渡辺一史さんの「自分史講座」というオンライン・セミナーに参加した。これは障がい者当事者が自分の言葉で語るためのセミナーの一回目だった。渡辺さんによれば、出版業界には「障がい者のことなど本にしても儲からない」とジンクスがあるという。でも渡辺さんは、『「五体不満足」や「窓際のトットちゃん」など多様な生き方の「障がいモノ」は実は日本のベストセラーなんだよ』と参加者を勇気づけた。

渡辺さん自身、たくさんの作品を世に送り出している。「こんな夜更けにバナナかよ」は映画化もされ、多くの人が「障がい者」と「その周りにいるヘルパーたち」について知る切っ掛けをつくった。それまで考えていた本の題名と「こんな夜更けにバナナかよ」を印刷日前日にギリギリ差し替えたという逸話など関係者泣かせの一面も持つが、そんな彼の目によって、昔私のかいたものが新しい光を当てられた。

セミナーでは、「『あ・か・さ・た・な』で大学に行く」で「第43回NHK障害福祉賞」を受賞した天畠大輔さんの文章とともに、私が1988年に書いた「車椅子からウィンク―脳性マヒのママがつづる愛と性」(文藝春秋 現在は絶版)から「ストローは私の七つ道具」が紹介された。

渡辺さんは「自分史はたいてい自慢話か自己正当化で終わってしまうけど、その時代に何が起きていたかも添えたり、自分を笑うようなユーモアもあるといい」とおっしゃった。

「小山内さんは、この短いエッセイの中で、障がい者が町にでることで、気づきをつくり、もともと偏見を持っていた人が、障がい者の応援者に回る様子を描いている。むずかしい理屈はないけれど、自分のことを「口うるさい障がい者」と書いているユーモアもある。そういうのものを読むと、人は書き手に対する信頼を感じられる。」とおっしゃった。

参加している障がい者の人に、渡辺さんは「NHK障害福祉賞を狙ってみたら」とよびかけた。私も次の世代の障がい者達が、YouTubeやnoteなどで自分のことをたくさん書いたらいいと思う。27日に次の講座があるらしい。参加者の原稿も募っているが今日の時点で4人が提出しているらしい。お披露目が楽しみだ。

自分の書いた原稿を人に読まれることは怖いですか?

そういえば、参加者の方が「小山内さんの文章は誰のことも悪者にしていない。私が障がい児の親として心の内を綴ったら、世の中に怒ってしまう文章になるだろう」と感想を述べた。

たしかに、私のものは告発調の文章にはなっていない。しかしそれは私が上手に書いたというよりも、文藝春秋の編集者の方が(なんと糸井重里さんからのすすめで)原稿の棘を取ってくださったから、きれいになめらかになっているのだ。

皆さんの中でも、何かを書くということに踏み出したくても、人に原稿を見せて直されるのは怖いという人がいるかもしれない。なぜかはわからない。私には若い頃から、社会運動で使われる原稿でもなんでも直してもらっていたので、原稿を直してもらうことは喜びだった。私には学歴もなにもないので、いつも肌で感じたことを書いて、あとは勉強をしてきた人に助けてもらいながら、「助け合いの精神」で原稿を書いてきた。

怖がらないほうがいい。
直していただけるだけでもありがたい。
もし、箸にも棒にもかからない原稿だったら、直してももらえないから。
誰かが直してあげようと申し出るなら、素直に受け入れたほうがいい。
その原稿には何かの魅力があるから、誰かが直してくれるのだ。

直してもらえるということそのものに、プライドを持てばいい。
化粧とおなじ。
化粧が苦手な人も、プロの人にならったら上手になるんだから、原稿も同じ。

一人きりになって、原稿を書きたい。

しかし、原稿を直してもらおうにも、そもそも「書き始めるのが難しい」という人もいるかもしれない。

私はといえば、一度一人きりになって原稿を書きはじめてみたい。

私の場合、いつも誰かに話して言葉で伝えて、タイプする人(スマホを触る人)に気を使いながら書いている。書き始めも人の都合だ。だから、一人きりになって原稿を書きたい。一度でいいから。

たとえば、自由に会話のようなメールを書いてみたい。

「元気?」
「うん、元気」
「今日はチャーハンを食べたよ」

…などとずっと書いていったら、いつかどこかで本音がでるだろう。
その中から「これを書いてみたい」と思うものが見つかるかもしれない。それが原稿というものだと私は思っている。

1988年に「車椅子からウィンク」を書いたときのこと

私は25歳までバージンだった。障がいをもつ私は「一生このままで死んでゆかなければいけない」と思い、それが一番切なかった。いつまでも親と暮らしていたら、異性と付き合う機会もなく、子どものように振る舞い、存在しなければならない。

それが嫌だったから、私は一人でアパートを借りて暮らすこと<自立生活>を選んだ。
一人暮らしをしたら、誰かにそっと抱かれてキスをしたい。でもそんなことは無理だろうなと思ってもいた。

しかし、男性のボランティアがたくさんきて、一緒に映画に行ったり、お酒を飲んだ。
外出した時は通りがかりの女性の顔をじーっとながめ、「トイレを手伝ってくださいますか」ときいた。「いいえ、私はトイレを手伝ったことがないから、できません」と必ずみんな言う。「あなたトイレにいったこと無いの?」と聞くと「それならある」と言うので、「じゃあ、私もあなたも同じですよ。トイレにいって、ズボンを下げて拭いていただいて、ズボンをあげてもらうだけでいいんですよ。」というと、それなら出来ますと言ってくださる方が多くいた。断って逃げていく人もいたが、でも3人中2人ぐらいはやってくれた。
そのテクニックを覚えたとき、私は安心してデートできるようになった。
そのうち「僕がやってあげるよ。同じ人間じゃないか」と言ってくれた人もいた。そういう人とは長い夜を過ごした。

「一生誰にも抱かれずに暮らすのか」と思った私にも、いろいろなことがあった。それだけでも生きてきた理由がある。

「車椅子からウィンク」を書いたときは、結婚もし、一番の夢だった妊娠と出産もし、それをちょっぴり自慢したかったのかもしれない。本の表紙は600枚も撮影された中から選んだ一枚だ。

障がいのある人もない人も、読んでくだされば、楽しいと思う。
どんな形でも、人は尊敬し、愛し合うことが大事だということを、書きたかったから生まれた一冊だ。

noteでも少し公開をします。
渡辺さんがご紹介くださった「ストローは私の七つ道具」を、ぜひ読んでください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?