見出し画像

愛の輪郭の一部は共有してきた文脈の量でとらえる

愛の輪郭の一部は共有してきた文脈の量で捉えられるかもというお話。

月日の長さよりも、どれだけ時間を共にし、対話し、深めたかで2人で共有するもの(文脈)の量は変わる。

2人で作り上げた言語ゲームの量とも言える。

ここで言う言語ゲームとは、例えば、お互いにとっての「好き」という言葉がどんな状態を意味するのかを確認して共通認識を作っていくような作業のことだ。誰かにとっての「好き」は誰かにとっての「愛している」かもしれないし、誰かにとっての「嫌い」かもしれない。

お互いにとって、その言葉が何を意味するのか?を確認した量が共有した文脈の量となる。

大体は、お互いのほんの小さな認識のずれが、衝突の発端となる。
例えば、人によって、「かたずけた状態」は大体一緒だけど厳密には違うことが多い。相手のかたずけた状態が、自分の期待するかたずけた状態と違うとあなたは怒るかもしれない。

一緒に時間を過ごし、言語ゲームを重ねていくことで、「ああ、この人にとっての幸せな生活とはこうなのか」とか、「この人の安心する状態ってこういうことなのか」とかを何度も繰り返すことで、共有している文脈の量が増えていく。

2人の間だけで通ずる言葉を作ったり、2人しか知らない話題が出来たりと、お互いが同じレベルで知っていることが増えるほど、人は親近感を感じ関係性が深くなったと感じるんじゃないだろうか。

逆に、相手にとっての何かが自分の価値観に反するものだと、あなたは言語ゲームを続けることをやめるかもしれない。例えば、相手にとっての「正義」があなたにとっての「悪」だった時、これ以上話すことは出来ないと思うかもしれない。

これは、恋愛に限らずどんな人間関係においても言えることだと思う。
そして、こと恋愛においては、その文脈全体が2人で作り上げた愛の輪郭のように見えると思う。

こうして、2人での作業が連続し、増やすことで愛情を深めていくわけだが、1つだけ問題がある。

それは、人は変わり続けるということだ。そして、その変化がいつ訪れるか分からないということ。

お互いが日々、変化の大小に関わらず変わり続けているので、文脈の更新作業が必要になってくる。片方もしくは双方の急な変化で、これまでの文脈が使えなくなる時がくるかもしれない。

仕事や趣味、旅行など、日々起こるライフイベントで感じ方や考え方、価値観が大きく変わっていく可能性はそこら中にある。

既に共有していた、「好き」の意味が変わるかもしれない。

そんな時、人は別れを決意するかもしれないし、また共有し直すかもしれない。共有し直す作業はとても大変だ。なぜなら、一度取り入れたものを、また違う形で受け入れ直す必要がある。これまで、自分の価値観に沿っていたものが、急に反対のものになるかもしれない。

ただし、作り直したという共同体験は新たな共有物として2人のものになる。この作り直しの作業で出来た新たな共有物は、より深く大きい絆を作る。

喧嘩をしたカップルがより仲良くなっていくのは、この修復作業に似ていると思う。

この作業を繰り返して愛は深くなる。
パートナーと愛を育む作業はそういうことなのだと思う。

愛情がなくなったと感じるのは、相手のこれまでと違う行動、価値観や変化した自分の物事の捉え方に対して、積み上げてきた共有物である愛の輪郭が否定される時だと思う。ただ、そんなことはざらにあるはずだ。

それよりもお互いの思いや考え方、モノの見方が変わることを前提として、作り直す方法を2人で模索することを積み重ねられると、長続きするしいい関係が築けそうだ。

変わることは自然なことだ。変わることを責めるのではなく、変化を受け入れ、もう一度言語ゲームをやり直してみることが大事だと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?