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エゴン・シーレ展所感、「肉」としてのドローイング

 東京都美術館で開催中のエゴン・シーレ展に行った。
 エゴン・シーレを知ったのは、中山可穂の小説だったと思う。その中でシーレは、官能を伝えるための例えとして引用されていた。
 シーレは、油彩画よりドローイングが良いと思った。細い線で人体を官能的に一瞬にして捕らえている。
 展示の後半に、ドローイングがまとめられているのだが、素人目にも思わず「うっまっっっ」と呟やきかけた鉛筆書きの2枚がある。『横たわる女』、『横たわる長髪の裸婦』という作品だ。どちらも寝ている女を素描したものだが、表情もポージングも、生々しい。汎用的な美しさではなく、個性的な美しさと言える。テレビに映っているモデルじゃなくて、俺の横で寝ている女、そんな生々しさ。
 同時代で同じウィーン分離派に所属したクリムトの下絵がすぐ横に数点展示されているのだが、クリムトの下絵がびっくりするほど下手糞に見えてしまうほどだった。
 今までエゴン・シーレについて、尖っていて個性的ではあるが、絵の上手い画家だという印象は無かった。しかし今回の展示を見て、認識が逆になった。一緒に展示されている同時代画家と比較して圧倒的なうまさがある。人体の骨格や肉感、表情の捉え方が抜群だと思った。
 そして、そこはかとないキモさがある。このキモさこそ、エゴン・シーレの良さとされる部分なのかもしれないが。一番目の恋人とその背後に自分の顔をのぞかせている絵のキモさときたら心がざわざわするものがあった。
 ドローイングで人物を描く際、シーレは肉感を出すことを、何よりも重視しているように見える。ポーズ一つとっても良い。他の画家が描くのを諦めるようなポーズをシーレは的確に捉えられている。太っていても細くても筋肉質でも、それぞれ違った肉感があり、部分的に色づけされて、それは「人」というよりもどこか「肉」なのである。意志を持った肉に見える。
 展示には、シーレの年譜や発言も含まれているが、どれも強いナルシズムを感じる。ナルシズムの強い人間が、セクシャリティの要素が強い作品を描いた時、相互の人間的な感情が希薄になるのではないか。だからこそ、元々の人間の捉え方のうまさに加えて、人間の物質的エロさをひき出すような、ドローイングすることができるのではないだろうか。
 ドローイングからは骨格の感じも伝わる。肉感だけでなく、骨感もエロさを感じさせる要素だと思う。はちきれんばかりの肉体というだけでない、骨格的なエロさ。骨はエロい。背面から女性をとらえ、背骨や肩の骨格をはっきり描くことで、肉としての、筋肉や脂肪のつき方が余計に際立って見える。骨格の美しさは、人間として、というよりも、生き物としての美しさを感じさせる。

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