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【女子高生エッセイ】『白が世界を満たしてく🪩』

年長から小学校を卒業するまでの8年間、アトリエに通っていた。

アトリエでは絵画や工作を中心に様々な芸術活動に取り組んだ。

月に1,2回通って3か月で1つ作品を作り上げる。

座って何かに向き合うことが苦手だった私がアトリエに通い続けた理由。

絵や彫刻が好きだったのもあるけど何よりも大きいのは唯一の同級生の仲間がいたから。

誰よりも真剣に取り組む人だった。

背が高くて日焼けした肌に白いTシャツがよく似合っていた。

その純白にカラフルな絵具を飛ばしては溜め息を吐きながら帰った。

毎回のように先生に白い服を着て来ないでねと注意されても絶対に白以外は着なかった。

先生が別の生徒を見に回っているときに彼は小さな声で呟く。

「俺、白しか持ってないんだよね」

彼の事情は私が一番知っていた。


彼の描く絵はいつも白を基調としていた。

夏の風物詩というテーマでも彼は白く輝く波の様子を描いていた。

彼との最後は突然に訪れた。


8月の1週目の日曜日。

外は溶けるような暑さで地面が日光にジリジリと焼かれて私の肌を焦がした。

クーラーのかかった室内でも汗はしばらく止まることなく体中を伝った。

珍しく私より早く来ていた彼に一声かけた時だった。

彼は私の目を見て言った。

「俺、ここやめようと思ってる。」

蝉の声が私と彼の静まった空間を埋めるように響いた。

私は言葉が出なかった。

彼は続けた。

「汚くなったから」

彼が指を差した画用紙には白の上から何色も色を塗り重ねられた形跡があった。

先生だ。

私たちの作品は先生によって一般的に良いとされる作品に改変されることがあった。

もちろん許可なしで。

今まで彼の白を基調とした作品に口出しをしてこなかった先生が。

彼の目は涙ぐんでいた。

私の口から言葉が零れた。

「どうして…?」

彼は私とは違う類の汗をかいていた。

怒りと憎しみ、それよりもっと大きな悲しみ。

彼の感情はいつもの白ではなかった。

「俺、もう描きたくない」

彼がそう言った時、呑気な鼻歌が聴こえて先生が入ってきた。

「お、二人とも早いね」

「お、おはようございます」

彼は黙ったままだった。

「そういえば絵修正したよ、波って白だけじゃ難しいから」

彼の握った拳は震えていた。

「はい、……ありがとうございます」

彼は苦しそうに声を絞り出した。

「じゃあ今日も続きから行こうか」

先生がそう口にした時、彼は自分の絵を持って立ち上がった。

信じられなかった。

彼が自分の絵を破るなんて。

私も先生もかける言葉が見つからなくて黙って彼の作品が塵になるのを傍観者として見届けるしかなかった。

「俺、白じゃないと駄目なんです。」

不器用で無口な彼はそう言い残して出て行った。

先生と二人きりになった私は彼の気持ちを代弁した。

5年以上、彼がずっと悩んでいたことを私から伝えた。

彼が白以外汚く見えてしまうこと。

だから白で調和するように絵を描いてきたこと。

それでも大好きな絵を描くのは諦めたくないこと。

先生は顔をしかめながら私の話を聞いた。

彼が白以外を使えばもっと良い絵が描けることなんてアトリエに通うみんなが分かっていた。

私だって何十回も彼の絵を見てもったいないと感じていた。

それでも彼の使う白は特別だった。

純白の扱いが群を抜いてうまいのはもちろん、別の絵具を少量だけ混ぜて細やかな風や影、光を表現していた。

外部講師が来て寂しい絵と評価された日も彼は描くことをやめなかった。

私は紛れもなく彼の描く絵が好きだった。


あれから私がアトリエをやめるまで彼と一度も会うことはなかった。

彼の画材は私がもらうことになった。

どれも白だけがなくなっていて他の色はほとんど新品と変わらなかった。


絵具バケツは灰色に濁っていた。

白は簡単に他の色に染まってしまう。

今の彼の心が濁った色になっていたとしても私は彼の描く絵をまた好きになると思う。

悲しい色を知った時、嬉しい色を見つけた時。

どんな顔をして笑うんだろう。

彼の画用紙に色が増えていく幸せを一緒に味わいたかった。

彼の世界に白以外の色を教えてあげたかった。


彼がいなくなってからの4か月間。

アトリエは静かになった。

私はひとりで汚い絵を描いた。

白は絶対に使わないことにした。

白は彼の色だったから。

奪ってはいけない。

そう思った。

先生は何も言わなかった。

言えなかった。

私が泣きながら描いていることを知っていたから。


彼はこの絵を見たらどう思うだろう。

醜いと罵ってくれるだろうか。

きっと何も言わないって分かってるけど。

私たちの仲ってそんなに薄かったんだっけ。

もっと濃くて深い色をしていると勘違いしていた。


アトリエに展示された彼の真っ白な絵を見る度、心が痛んで苦しくなった。

彼の心を描き出したかのような純白の絵とは裏腹に私の心は黒く染まっていった。

中学校の入学を機に静かにやめることを決めた。



あれから何年経ったんだっけ。

そろそろ白以外の服も着れるようになったかな。

もう他の色で白を汚すこともないのかな。

嬉しいようで本当は寂しい。

白は綺麗だけど。

世界は色で溢れているよ。

今、君の目に世界が綺麗に映っていたらいいな。



彼を二週間前に最寄りの駅で見かけた。

白いシャツに銀のネックレスを垂らして女の子と手を繋いで歩いていた。

彼がこちらを見ているのが分かったが私は知らないふりをした。

あの時と彼は変わっていた。

彼の袖には群青色の絵具がついていたから。

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