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【女子高生エッセイ】『何者にもなれない私を愛すこと💎』

私は電車が好きだ。撮り鉄とかそういう専門的なものではないし、電車の種類をたくさん知っているわけではない。

車窓からの景色やリズムのいい揺れ感、ブレーキをかけた時に起こる摩擦の少し高い音。

そして、なんと言っても違う場所に連れていってくれるワクワク感。

あなたは、初めて電車に乗った日を覚えているだろうか?

私は、覚えている。
本当に初めて乗った日ではないにしても、『初めて大きな電車という乗り物に乗る』という意識をして(物心がついてから)乗った日は鮮明に覚えている。

まだ小さくて、ドアの窓からは外が見えなかったが、母に2人席の茶色のシートに座らせてもらうと、視界の半分だけが毎秒新しい景色に入れ替わっていった。

動く絵本だ、と思った。

海はキラキラしていたし、森は生き生きとしていた。都市に近づくにつれ、ビルが視界の大半を覆い、小さな私は圧倒された。

真剣に窓の外を見つめる私に、母は笑いながら「次で降りるよ」と言った。

私はもっとこの景色を目におさめておかなければならないという直感に駆られ、先ほどより目を見開いて外を見つめた。

その前日に雨が降っていたせいか、黒いコンクリートの地面はキラキラと輝いて、水たまりが光を乱反射していた。

今でもはっきりその情景を思い出せる。

あのキラキラ輝いていた世界をやっと高校生になった今、言葉に変換できるようになった。

そうして、私は電車が好きになった。
正しくは、電車から見る景色だが。


時は過ぎ、中学三年生。

高校受験の第一志望校を、自分の家から1番近い高校と、家から電車の乗車時間を含めて1時間かかる高校と選ばなければいけなかった。

どちらも偏差値は同じくらいで、親は家から近い方をすすめた。

理由は単純で、私は早起きが苦手だった。

家から中学校までは徒歩で30分ほどの距離だったので、他の生徒より早く起きなければならなかった。

だが、目覚ましをかけても起きれなくて毎日焦って支度をした。

いつも一緒に学校に行く子が私の家のインターホンを押すと、私は決まって、ちょっとだけ待って!と返事をした。

そうして、朝のHRに間に合うギリギリに家を出た。

毎日、その日の朝に遅れた言い訳を20分ほどかけて話した。

お母さんが給食当番の袋出してくれなくて、とか、お父さんが提出のプリントに名前書いてくれなくてとか、お兄ちゃんが庭の水やりをサボったからとか。

一緒に登校していた子は、そんな話を笑って聞いてくれるタイプの人間だった。優しい。ありがたい。

でも、今は無性に謝りたい。

ごめんね、本当は寝坊した私が悪かったんです。3年間の言い訳全部、作り話です。

我ながら、3年間ほぼ毎日違う言い訳を作ったのは褒めてやりたい。

そんな風に寝坊しまくって登校していたので、私も高校生に入って急に朝が起きれるようになる未来は全くもって見えなかった。

時間通りに早く起きても、二度寝するし。

でも、電車に乗りたい。
毎朝いろんな景色を見て、心を躍らせながら学校に行きたいと思った。

あの電車の窓の四角い枠の中からしか見えない景色は、初めて電車に乗ったあの日から私にとって、特別だった。

あれから1人で出かける時も、友達と遊びに行く時、電車に乗ると必ず窓の外の景色に心を奪われた。

晴れの日でも、雨の日でも、雷が落ちていたって、あの四角には世界が美しく見える魔法がかかっている。


何度も車窓から見た海を見て泣いたことがある。
明らかに変な様子のおかしい人なんだけど。

泣いた理由はそこまでわからないが、海という存在が羨ましかったんだろう。

誰がこの景色を見ても綺麗だと思うし、誰が聞かれてもこれは"海"と答えれる。

内陸国の人は海を見たことがないって?
そんな話をしていない。
内陸国の人だって海を夢見るものでしょう?(まじで知らんけど。)

そんな大きな存在の海に対して、私は何者でもない。

ネットの中でだけ女子高生作家という肩書きを立派に背負っている、名前さえわからないただの普通の女子高生。

見た目も飛び抜けて誰が見ても美少女!!なわけではないし、一軍の女子に、少し可愛いくらいで調子に乗るなよ。とか言われて気まずくなる本当に微妙な顔。可愛いか不細工かはっきりしろよ。

いや、お母さんお父さん、ごめん。

まとめると、私は海のような存在にはなれない。

誰かの目を引く存在でありたいと願っても、それが叶わない。

それに重ねて、私が私であり続けることはとっても難しい。
昨日までの自分と今日の自分は同じか?
明日の自分は、今日の自分を私ではないと感じるかもしれない。

いつか本を出版したり、メディアに出演したり、職業についたり、そうしても私が何者かになれるかわからない。その時の、私は何者でもない今の私を自分でないと否定するかもしれない。
まぁ、それは普通に悲しい。
可能性としてあり得ることだから。

結局、誰もが自分のことを何者かなんて理解できてはいないんだと思うけど。

実際、海もそういう一面を持っていると思う。

誰かに憧れられている反面、日本人みたいに海を身近に感じる国に生きる人類は海の美しさを忘れたりもする。

急に何で海を貶したかって?
たまに、海だってそんな思いをしているんだよって。今、自分に言い聞かせている。
ついでに、読んでいるあなたにも。


総じて、何かに劣等感を感じる時間はたまに無駄だと言われる。
一定数のポジティブ心のベクトル上向き人間は、前を向け!とか明日がある!とか言ってくる。

私は、ネガティブ根暗悲しい生物タイプなので、そういうポジティブ人間には、お前に明日はないぜ!と言ってやりたい。

明日頑張れるかなんてまだわからないし。
明日の自分を信じることは難しい。

でもその無駄と言われるネガティブな時間は、私たちの、『あー私は何で私なんだろう』という人生に必要な問いを導いてくれる。

それが何者かになる秘訣かもしれない。


今日、電車の中でぼーっとこの話を書いた。


え、今日、スマホ見つめてて、窓の外見てないわ。

そんで、そもそもこんなに海について語ったけど、通学で乗る電車から海見えないわ。



まあ、矛盾もたまにはいいよね?
そうやって、回り道をしながら私は私の内部を構築していく。

自分探しの旅をしても、自分が何者なのかわからないんだし、電車で自分が何者かを語っている私はお手軽なやつなんだな。

そう思いながら、電車の4人席のシートから立つ。

プシュッと音を鳴らして、開いたドアから一歩外に足を踏み出すと、そこにはいつもと少し違う世界が広がっていた。



なんだ。二駅乗り過ごしてんじゃん。

電車から外の景色を見ていないと、そんなこともある。

逆のホームに行って7分後の電車を待つ。
これもいい経験。そういうことにしておく。

結局、私が何者にもなれなくても、誰も気に止めちゃいない。
何者かになっても、私はその私を愛せるのか分からない。

たまには立ち止まって戻ってみる。
そうして、大人になっていくんだ。

今の私を愛すること。それが今日の最適解かな。

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