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【女子高生エッセイ】『僕らの好きは儚く未完成🦋』

好きなものを簡単に話せるだろうか。

私はどちらかというと”話せないタイプ”に分類される。

好きって感情は儚くてもろくて未完成だと思う。

心に秘めた好きはたくさんある。


もし口に出した好きを否定されてしまったら?

もし相手が偏見を持ってしまったら?

もしいつか私の好きという気持ちが揺らいでしまったら?

そう考えるたび好きなものが声にならないときがある。


口に出せないことで自分の好きという気持ちにも不信感が募っていく。

声にならないものを好きと言ってもいいのかと。

誰に何を思われようが好きでいればいいじゃないかと。

だが、どうしようもなく言葉が怖くなってしまうことがある。

言葉に出してしまったら取り返しのつかない気がしてしまうのだ。

いつか自分がそれを好きじゃなくなったときにあの時発してしまった好きは嘘になるのだろうか。


好きな作家やYouTuber、バンド、キャラクターなどについて話すときは背筋が伸びる。

いつから好き?

全部の動画見てる?

どのくらいグッズ持ってる?

ライブ何回行った?


好きの度合いを溶かした時間やお金で簡単に尺度を測ろうとする人間がいる。

もし相手も同じものが好きだとするならばこの質問達はさらに恐怖である。

「そんなに好きじゃないやん」

これはもうゲームオーバーである。


「こんなことも知らないの?」

これは会話強制終了のお知らせ。


『好き』を使わなくても感情で好意を表すことはできる。

それでもやっぱり『好き』が一番純度が高く伝わる言葉。

こんな簡単な単純明快の〇か✕か、快か不快かみたいな感情も話せないのが悔しくて仕方がない。

〇✕ゲームで相手はすぐに置けるのに自分は手札の〇をひとつも見せることもできない。

✕は無意識に見せられるんだけど。


小学校の時に好きだったバンドを否定された。

そのバンドの音楽を聴くのが怖くなった。

街で流れているのを聴くと耳をふさぎたくなった。


中学校に入学した後、そのバンドの曲が流れたことがあった。

気分は秘境の温泉に辿り着いたはいいものの入ると外から裸が丸見えみたいな感じ。

なぜなら通路を挟んで隣の席がそのバンドを否定をしてきた子だったから。


隣の子が私を見ながら口を開いた。

「この曲めっちゃいいよな」

私の頭は疑問符で埋め尽くされた。

私がぽかんとしているとさらに続けていった。

「あれから聞くようになったんだよね、今めっちゃ好き」

私は怒りとも悲しみともつかない憎悪に似た感情を持った。


人の感情ってなんでそう簡単に変わってしまうのだろう。

どうして言葉はすぐにシャボン玉のように消えたことになるんだろう。

言葉ってやつは見えないくせして重い。

それでいて儚いふりをしている。

なんてずるいやつなんだ。


私はずっと一人で重い鉄球を口から吐いている。

誰も私の言葉を受け取らなくても鉄球なら重いから無理だよねって笑って流せる。


たまには私だってきらきら輝いて空を舞っていくシャボン玉みたいに軽くてふわふわした言葉を吐き出したい。

言葉はシャボン玉みたいに美しい形で誰かの心の中に残っていくものであってほしいから。


今回はこちらの素敵な記事を題材に書かせていただきました。

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