最強の兵隊(2)

(前回までのあらすじ)

ビジネス誌「週刊東洋ビジネス」の三谷は、ダメ新人記者だった。小さな記事のネタすら発見することができず、デスクから叱責される毎日。新人記者は通常、小さな記事を何本も書いて実力を養ってはじめてまかされる「企業もののレポート」がアサインされた。平たく言えば、伸び悩んでいる新人記者に対する荒療治なのだが、取材スキルなし、人脈なし、筆力なしの新人記者三谷はどうするのか?運命やいかに。

タイムリミットは大盤振る舞いの3週間

三谷は、夏が近いことを感じさせる空気を帯びた明治通りを、渋谷方面に向かってぼんやりと歩いていた。三谷が勤めるビジネス誌「週刊東洋ビジネス」の編集部は、そのジャンルに似つかわしくない原宿のど真ん中にあった。昼間に社屋の外に出れば、思い思いのファッションに身を包んだ若者が行き交っている。

そんななかにあって、量販店で買った安物のスーツにヨレヨレのソリッドタイを締めている三谷は浮いて見える。記者はできるだけ目立たない色味のスーツとネクタイを身につける。これは入社直後に教え込まれた。業界の重鎮の訃報を取材することもあれば、かしこまった会見に臨むこともある。それも急に。だから、である。

そんなノウハウなどもはや意味をなさない。それほどに憔悴しきった顔をした三谷。傍から見れば、自殺する一歩手前かリストラされた直後かという悲壮感が漂っている。気がつけば、ほぼ渋谷駅まで歩いていた。編集部の掲示板に企業もののレポートが自分にあてがわれたことを目にしてから、意識がまばらになったままだ。

三谷が担当することになった企業もののレポート。「企業フォーカス」と銘打たれ、ある1社の企業を取り上げて、特徴あるビジネスの内幕を子細にレポートする。週刊東洋ビジネスは、この他にテーマを設けた特集記事や、速報性のあるトピックス記事などがまとめられ、週刊誌として発行されている。競合他誌の「経済ウィークリー」や「東都経済」と比較すれば、特集だけではなく数ページのレポートものにも力をいれているのが特徴だ。取材力を武器に切れ味鋭い内容をまとめることで知られていた。要は三谷が担当することになった企業もののレポートは目玉企画の一角を担っていると言える。

しかし、企業の内幕をレポートするといっても、今はバブル崩壊後の長い不況から抜け出せずにいる2002年。業界を問わず、景気のいい話はない。当然、取り上げるのは苦境にさらされた企業の姿ばかりである。しかも、週刊東洋ビジネスは企業の知られざる内面に切り込むのを是とする編集方針で、とりわけ金融業界とゼネコンにはするどい筆先を突き刺すことで知られていた。企業側からすれば身構えてしまう媒体で、取材を申し込めば「東ビさんはバッドニュースイズグッドニュースですから」と、断られることもしばしばあるほどだ。

三谷の受け持つ運輸業界も不況の風を受けている業種であった。電鉄関連はバブル期に仕込んだ土地の含み損に青色吐息だし、航空業界は9.11のテロで需要は激減している。今回取り上げることになっているヒノマル運輸を含めた陸運業界も、企業からの運賃引き下げ要請に四苦八苦している。良い話など聞いたことがない。唯一堅調だとされる、宅配便というジャンルもヤマネコ運輸と桜運輸の勢いがよく、ヒノマル運輸は防戦一方という構図である。

そんななかにあって、ヒノマル運輸の宅配便を取り上げる。取材活動が困難を極めることは火を見るよりも明らかだ。

「ああ、どうすっかな。。」

と、独りごちたところで何も状況は変わるわけでもなく、のそりのそりと突き出されていく、自分の歩みに目を落としていた。

「あれ?三谷?」

と、やたら元気な声が飛んできた。ハッとなって前を見ると、3年先輩の女性記者、芝が驚いた顔をして三谷の方を見ている。

「あんた、死にそうな顔してるよ」

芝は本気で心配しているようで、あわてて三谷の方に近づいてきた。

「なにかトラブルでも引いた?」

と、続けざまに質問される。

「トラブルっちゃあ、トラブルです。おれ、企業フォーカス当たっちゃいました…」

「はあ!?マジで?あんた、まだトピックスそんな本数いってないじゃん。なんで?」

「しかも、このまえトピックスで書いたヒノマルの宅配便をテーマに書けって言われてます…」

「はあ!?まって、意味がわかんない。この前のトピックスでしくじったばっかりなのに!?」

なにも、記事がダメだったとまで言わなくてもよかろうと三谷は思ったものの、要は、デスク連中の荒療治だということを簡単に伝えた。経緯を聞いた芝は、少し考え込むような表情を見せたかと思うとポツリと言った。

「とりあえず、コーヒーでも飲んで話そうか」



編集部から少し距離を取った渋谷や青山近辺には、若手記者がそれぞれ”根城”にしている喫茶店があった。編集部で記事を執筆しているとデスクから要らぬ取材が降ってきたり、そもそも編集部にいると「普段取材していない」というレッテルを貼られるため、執筆場所兼隠れ家として行きつけの喫茶店が必要なのだ。芝も例外ではなく、行きつけがあった。

三谷を引き連れて、証券会社が立ち並ぶ一角の路地裏を入ったところに何故かその店だけレンガ造りのファサードになっている喫茶店。ギギッと音の出る木の扉を引き開けると、中世のギルドかなにかを思わせる作りになっている。

「ここ、何時間居ても怒られないし、コーヒーおいしいのよ」

記者にとって大切なポイントをおさえた店であるというわけだ。促されるまま、一番奥の2人がけの丸テーブルに芝と向かい合わせになるように座らされた。芝は勝手に店員を呼び寄せ、モカ・マタリを2つオーダーした。

「黙って一杯目はこれにしときな。おいしいから」

と付け加えた。

芝は、年齢で言えば三谷の3つ上になるが、中途で入社しているので三谷と同期になる。週刊東洋ビジネスに来る前は、小さな食品系の業界紙で働いていた。細分化された業界新聞は、記者が原稿執筆と広告営業を兼務していることが多い。取材の傍ら、その取材相手からカネをもらうべく広告営業をするのである。相手に”配慮”した、いわゆる提灯記事しかかけない。しかも驚くほどの薄給だ。そんなジャーナリズムの欠片もない日々に嫌気がさして転職してきたのだ。酒はそれほど強くないのに、飲めば「私は記者になりたくてなりたくてココに来たんだ」とくだを巻くのが特徴だ。身長は150センチほどで小柄だが、ショートボブがよく似合う、活発が服を着たような人間だ。編集部では、そのバイタリティに期待がかけられ、自動車業界の担当に抜擢されている。

コーヒーが来るまでの間、三谷は経緯を詳しく話した。デスクミーティングでネタを出せないでいること。トピックスでしくじってしまったこと。その次のミーティングでネタが出せず、結果企業フォーカスをあてがわれたこと。一通り聞くと、芝は「ふうぅ」と深い息をはいた。

「かんたんに言えばシゴキだね。あんた、ここで踏ん張れるかどうかが試されてるよ」

まっすぐな口調で三谷に声が飛んだ。

しかし、今度は少しだけ悲しそうな声で

「がんばんな」

と、続いた。

三谷は声色の変化の理由を知っていた。実は、芝はつい先週の企業フォーカスを担当したのだ。そして、編集部でも陰口を言われるような駄作を生み出していた。芝は国内最大手の自動車メーカーであるトヨマル自動車の記事を執筆することになっていた。だが、トヨマルは記者会見や決算発表におけるぶらさがり取材以外、ビジネスやマネジメントに関することについて報道機関から個別の取材を受けないことで知られていた。徹底した秘密主義なのだ。営業利益1兆円を叩き出す巨艦。しかし、その内実はトヨマル生産方式という教科書的な内容しか世に知られておらず、謎のヴェールにつつまれている。その牙城を切り崩せという司令を受けてのレポートだった。

しかし、結果は惨敗だった。押しても引いても取材申し込みは断られ、つてのあるトヨマル系ディーラーからしか話が聞けなかった。結果、トヨマルの企業フォーカスはボツ。ディーラーからの話をもとにした、国内の自動車販売動向という毒にも薬にもならない記事として執筆したのだ。その駄作確定の原稿を芝が泣きながら執筆しているシーンを、深夜の編集部で三谷は見かけたことがあった。無論、声はかけずその場から立ち去ったが。

そんな芝が発した「がんばんな」という言葉に、三谷は心臓がぎゅうっと握りしめられるような思いがした。そして、そんな芝だからこそ、自分に親切にしてくれているのだろうとも思った。甘えであることは重々承知していたが、素直に教えは請わなければならない。締切は待ってくれないのだ。

「でも、不思議だよね。締切が3週間って…。普通は2週間で入稿なのに」

と、芝が疑問を口にした。入稿とは仕上げた原稿を紙面に仕立てる制作チームに引き渡す期日のことを指す。新人記者の三谷には、ボーナスタイムとして1週間の期間が追加されているというわけだ。もっとも、たかだか1週間である。あくびをしていたらアッという間に過ぎてしまう。「やること整理してすぐ取り掛からないと、死ぬよ」と芝に檄を飛ばされた。落ち込んでいる暇は、本当にない。やらなければ本当にダメ記者のレッテルを貼られてしまう。焦りが背中にゾワリと広がる。しかし、人脈も知識もない自分に、果たしてできるのか。「おちつけ」と心の中で繰り返し、いつのまにか運ばれて、すでにすっかり冷めてしまったモカ・マタリをすすった。

苦味と酸味が、ぼやけていた意識をシャッキリさせていくのがわかる。まずは、やれること、やらなければいけないことの整理だ。残り21日しかない。

(続く)



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