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映画「川っぺりムコリッタ」感想 食事×隣人×人間関係の慣れ

人の死生観を見せている映画だと思った。生きている、それは当たり前だが当たり前ではない。主人公の山田が白米を炊いたシーンに代表される。普段は何でもないが、米を自分で炊いて、香りをかいで、美味しさを感じる。ご飯を食べれるのは幸せで、そこに味噌汁があるとさらに良い。食べることの大切さがこの映画にはある。山田の家に隣のおじさんがご飯やお風呂を使いに来たときには、不快感を感じたが、長く続くとそれがなくなる。昭和とか平成初期の頃にはこーゆー風だったのかもしれない。とはいえ、現代では他人の家に上がり込むといったコミュニケーションは不快感が高まるだけなので、時代には合わない。ただ、忘れてしまった一体感もあったりして不思議な感じだ。山田も、臨時収入が入って、すき焼きを食べている家族の場所に勝手に入り、勝手に食べていたので、何とも言えない慣れがあった。そのような行為こそ慣れかもしれない。深いようなそれでいて浅いような。映画のCMで観たイメージとはまったく違う作品だった。なんだか不思議な作品。

すき焼きのシーンは幸せを表していた。高い肉に住人が集まる。昔のような光景であり、今だと考えられない。知らない隣人が一緒にご飯を食べる。当たり前のことだがそうではない。ご飯の場面は多く、それほど力を入れているということだ。人と共に食べることが表現されている。隣人か勝手に入ってくるのは、何十年前だと当たり前だったのかも。祖父母の家の鍵が開いていて、近所の人が来て、世間話や食べ物を持ってきていたからだ。そーゆー文化をイメージしてしまう作品だが現代では防犯もあり、中々に難しい。個人情報は簡単に拡散されてしまう世界たからこそ、近い人間関係は少なくなってしまう。私達の祖父母世代が観ると違う印象になるかもしれない。他人は厄介だが、気づくといないと不安になる。友達もそうで、最初はあまりいい感じがなかったが、あるきっかけで印象が変わる。人生それの繰り返しだ。ただ、友達になれない場合もあり、実際にはその方が多いだろう。人間関係は色々だ。

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