見出し画像

桜じゃなく梅を見に行くということ

「お花見」というと大体「桜を見ること」が当たり前のようにイコールになっていた私の人生に「梅」という花が彩ってくれた時間の話。

神戸に住む友人の最寄駅には、たくさんの種類の梅を見られる公園がある。友人は2月の半ばに梅を見に行ったことを教えてくれた。

その連絡で、私は今まで「梅を見に行く」という行為をしたことがないことを気づかせてもらった。

都内にいて「梅を見に行く」なんて、時間も心もゆとりがないとできない。だから「桜の時期に帰省できたらいいなぁ」って連絡をしていたら、急遽神戸に行けることになり、その友人に連絡してみるとなんと奇跡的にお休みの日だった。

その日しか確実に神戸に滞在できる日が決まっていなかったためミラクルだった。
インドカレーを食べて、友人おすすめコーヒーを手に公園に行って梅を見る、という最高のコースを友人が用意してくれた。

この日、雲一つない真っ青の晴天の時点で、私たちは持っていたのかもしれない。
すべてがうまくいく一日だった。
「なんにもうまくいかない日もあるよね」
なんて話ながら最高のコーヒーをテイクアウトした。

神戸は坂が多い。梅の公園も坂の上にある。
関東や他の地域でもあまり坂って意識しないけど、改めて神戸の坂は急なんだなと実感した。

中高大と「下山」と言いながら下校していたくらい山の上に学校があり、「よく通ってたなぁ」と中高大一緒の二人でしみじみ思いながら、気持ちの良い天気も相まって清々しい気分で坂を上がっていた。

なんせ待ち受けているのは梅だからね。そりゃ足取りも軽くなる。梅の公園に着くと、イノシシが住宅街に侵入しないようにしっかり閉められた入り口に笑った。さすが神戸の山!

六甲山の近くにあった母校で、私はソフトテニス部だった。テニスコートが運動場の一番奥の山側にあったため、たまにイノシシの親子がコートに入ってきて、部活が中断したこともあった。そんなことを久しぶりに思い出す。

イノシシでは開けられない扉を開け中に入ると、梅がずらりと並んでいる。近づくと梅の香りが鼻に通ってくる。

子供の時によく食べた梅味のお菓子のおかげもあってか、梅の香りは鼻も知っていた。その香りがたくさん香ってきて、花粉症の私の鼻も大層喜んだと思う。

香りの次に梅を見ていたら、とにかく「かわいい」という言葉しか出ないほどかわいい。ころんとした丸みのある形に淡いピンク色。かわいい。

梅それぞれにつけられた名前に「思いのまま」なんて名札があって、言霊があるように名をつけられた花はその名の影響を受けて育ちそうだなと思った。

私も思いのままにぐんぐん人生歩んでいきたいなーって梅を見ながらしみじみ。
気づいたら見上げていた。
そういえば、梅って枝が上に伸びて、その1本ずつにいくつもちょこんちょこんと花が咲いている。こんな風に枝についてるのかと初めてちゃんと見た気がした。

種類によってはまだ蕾のもの、満開のもの、散ったものと様々なのも面白かった。友人と
「これ、蕾なんかな?」
と言ってじっと見てみると、花びらが散った後に残った小さな花びらが残っている状態だった。

「ちょっと待って、今まで表に出てる花びらばっかり見てたけど、裏で支えてる花びらあるやん!しかも、花びらが淡いピンクで、裏で支えてる花びらのピンクめちゃ濃いで!」

なんて美しいグラデーションなんだと思った。そして今まで前に出て目立つ花びらしか見ていなかった自分を恥じた。映画のメインの役を支える端役が梅業界にも存在していたらしい。

支えてる花びらは正式には「ガク」というところ。散った後のそれはまた咲き始める小さな花びらのように見えた。満開の白い梅の花を黄緑色のガクが包み込むように支えていた。

散ったらガクの部分が残るから、儚くもたくましさを感じた。これから植物を見るときは表立った部分だけじゃなく、裏や奥まで見ていきたいと思った。

ゆとりある時間じゃないとできないと思うから。
意識してそういう時間を作っていきたいなって。
自分一人じゃなかなか難しいから、友達と「思いのまま」ゆったりと過ごせたおかげで、梅のかわいさとたくましさを知れた。大切な時間だね。

大阪まで見渡せたよ

この記事が参加している募集

休日のすごし方

この街がすき

読んでいただき、ありがとうございます! 子どもの頃の「発見の冒険」みたいなのを 文章の中だけは自由に大切にしたくて、 名前をひらがな表記にしました。 サポートしていただけると とっても励みになります。