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母校の制服を思い出した春

今年の4月は朝劇三軒茶屋の1年ロングラン公演という企画に参加していて、1年を春夏秋冬チームに分けて春チームとして朝から演劇をやっていた。
昨日千穐楽を迎えた今思うと、「春」という季節をすごく意識させてもらえた気がする。

周りの友人たちに子供が多いからというのもあるけど、新年度という始まりの時期でもあってかなんとなく制服のことを思い出した。

中高一貫の女子校だった私は、全身濃いめの紺色でかわいいポイントが少なめのカラスのような見た目の制服を、どうしたら気持ちよく着られるかの工夫を頑張っていた。

あの年頃は学校という世界がすべてなため、当時感じていた制服に対するネガティブな気持ちが少しでもなくなるように必死だった気がする。

街でセーラー服やワンピースにベルトをしているかわいい制服を見ると、「あの制服を着ている学生生活はどんなだったんだろう」と今でも少し思うほど、当時よく目移りしていた。

中高一貫だと高校の先輩たちの制服を中学から見ているから、「次はこうしよう」「あれを買おう」と校則を破らない範囲で代々受け継がれるかのような工夫を真似していた。

高校に上がるタイミングで制服が変わるため、計測時にメーカーさんに私は念押しで
「スカートをとにかく長くしてください。できればくるぶしまでお願いします」と伝えた。
自分と同じくらい背の高い先輩のスカートの丈が長かったのが良く見えたんだろう。足が太いのも隠せるし、冬も少し暖かいし。

しかしカラス度合いは増す。黒の革靴に黒タイツに濃いめの紺のロングスカート。これが細かいプリーツだったら可愛いけど、太めの4本プリーツというデザインだったためなかなかインパクトがあった。

今年の春の始め、同級生の友人と初めて入る地元の古着屋に行き、友人が4本プリーツの膝丈スカートを見つけて
「制服とおんなじプリーツやで!」
と嬉しそうに見せてくれた。
「ほんまや!めちゃ可愛いな!あの時そのプリーツ全然可愛いと思えんかったのに!」
と笑い合った。

制服って面白いなと思った。あの時はそれが毎日着るもので他に選べなかったから「可愛い」と思えなかったけど、今は着るものの選択肢がたくさんある中で、当時の制服に似た服を見ると想い出となった記憶も重なって、心から「可愛い」と思える。時を経て制服に対する感じ方が変わることを体験した。

同じ制服を着ていた友人とかつて思えなかった「可愛い」を共有できた瞬間が愛おしくて、「制服」がある時間を過ごせた人生で良かったとすら思えた。
あの時にしかないあの葛藤があっての今を生きている。そんなことを学生時代と切り離せない「制服」から感じさせられた。

春が過ぎ去る前に、そんな今年の春のやさしい時間を書き残しておこう。ありがとう、春と友人。

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