見出し画像

「羅生門」

おはようございます!

今日は、羅生門 / 芥川龍之介 著 について、書評と思うところをまとめます。

言わずと知れた名著ですね。


私が羅生門と出会ったのは、高校の国語の授業でした。

退屈な授業の中でもひときわ印象的な作品で、学習後に心にじっとりと何かが残る作品でした。


まずはあらすじを説明します。

ほとんどの方はご存知かと思いますが、ざっとこんな感じですね。

・突然仕事を失った1人の下人が、羅生門の下で雨宿りをしながら、これからどうやって生きていくか考えていた。
・寒さをしのぐために楼上に上がると、死体の髪の毛を抜いている老婆を発見する。
・正義心に突き動かされた下人は、老婆をとらえて何をしていたか問い詰める。
・老婆は、「女の死体の髪の毛を抜いてカツラをつくっている。こうしないと私は死んでしまうのだ。この死体の女は生前悪いことをして生活していたのだから、私が今していることも大目に見てくれるであろう。」ということであった。
・下人はそれを聞き、「それなら今から俺が何をしようと文句は言うまいな。そうしなければ、俺も死ぬ身なのだから。」と言い、老婆の身ぐるみをはいで、夜の闇に消えていった。
・その後、下人の行方を知るものはいない。


おどろおどろしい雰囲気と、登場人物の心の揺れ動きが生々しく描写されている点がたまらない作品です。


印象的な部分は、やはり下人が老婆の言い分を聞いた後、身ぐるみをはいで闇の中に消えていったシーンですね。

いくら自分が生きるためとはいえ、同じように明日死ぬかもしれない老婆から身ぐるみを奪って逃げるのはあまりにも残忍だ。。

そんな風に感じるでしょうか?


では、下人はもともと残忍な悪い心の持ち主だったのでしょうか?


私はそうではないと思います。

物語全体を通して下人の心の中にあるのは、あくまで「正義の心」だと私は思います。

下人は、死体をあさっている老婆を見た時に、老婆は悪行をはたらいていると感じて、正義感から老婆を問いただしました。

ところが老婆の言い分を聞いた時、悪行をはたらく老婆は裁かれるべきであって、自分が生きるために老婆を裁くことは悪行ではない(=正義)、という自分を正当化できる道理が下人の中に浮かびました。

これが下人にとって生きるひとすじの希望となり、身ぐるみをはぐという行動に駆り立てたのだと思います。


つまり、何がこの物語の肝かというと、


環境が人を狂わせる


ということです。


雨宿りをしていた時の下人は、主君から解雇されて食べる物もなく、明日どうなるかわからない命と向き合いながら途方に暮れていました。

きっと、経済的・心理的余裕がある時であれば、この下人は老婆から身ぐるみをはぐようなことはしなかったでしょう。

どんな人であっても、余裕がない状況では、自分が大切にしている価値観・正義感は簡単にねじまげられてしまう。

そんなことを考えさせられる一冊でした。



ここで書評は終わりますが、最後にひとつ話をさせてください。


本作品の冒頭にて、突然仕事を失ってしまった下人は、途方に暮れながら羅生門の下でいつやむともわからない雨がやむのを待っていました。


さて、このような状況に、どこか心あたりは無いでしょうか?


実は今、そんな状況が日本の各地で広まっていますよね。

コロナショックの影響により、5月時点での日本の完全失業者数は198万人となりました。

これがどれくらいの数かというと、だいたい四国4県をあわせた人口の半分です。

そしてかくれ失業者も合わせると、この数はもっとふくらみます・・


今、日本がこの羅生門の冒頭の状態であるとするならば、今後物語にそって環境が変わり人々の心が変化していくと、最後にはどうなるか・・・


明るい未来を想像するのは難しいですね。


これは、決して他人ごとではありません。


もし自分が羅生門の下に立った時、自分はどんな決断をするのだろう・・


そんなことを考えてしまいます。

羅生門の下に立つことがないように、今から準備を着実にしていきましょうね。


それでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?