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鎌倉探索&カメラチェック

前回のNoteは韓国旅行編であったが、カメラのオート機能に頼りっきりであった。

「もう少し暗くしたい」「もう少しくすませたい」「もう少しぼかしたい」

このような欲望を満たすにはマニュアルモードしかないのだが、何せカメラ初心者でやり方が分からない。

そこでまずは下記で大筋の理論を理解し、

F値(絞り)・シャッタースピード・ISOの概念

後は実践あるのみである。
旅行記も兼ねるので楽しんで読んでもらえたら嬉しい。

鎌倉探索とカメラチェック

江ノ電に乗り込み鎌倉駅へ向かう。尚、電車内は乗客が多かったので何も撮影していない。
また、午後過ぎに鎌倉に到着するも、ほとんどの寺院仏閣博物館の類は夕方16時〜17時には閉館することが判明し、時短で探索することに。従って鎌倉探索の際は午前中から始めることを勧める。

鎌倉大仏

最近、禅や華厳と言った日本人の精神性の根幹をなす思想に関する読書を重ねる中で気付かされるのは、改めて大仏は不可思議な存在である。インターネットがない時代に、どこの大仏も同類の顔をしている。

数年前に訪れたタイのアンコールワットの大仏も鎌倉の大仏も、やっぱり大仏の顔をしている。時と場所を超越して情報が伝播していくのは現代のインターネットそのもの。

古くはインドを発祥とし、東南アジア、中国、朝鮮半島を経てやがて日本に伝来する仏教の拡散力たるや恐ろしいものである。

鎌倉の大仏を正面からオートで撮影する。
綺麗すぎる。
もう少し自分の眼の景色に近づくような味わいを出したい。
前方の煙を燻らせて威厳を表現したい。オートと比較してF値を上げる。
さらにシャッタースピードを上げて光量を絞る。
小雨の降る鎌倉で見た景色に近いのはこの写真である。

個人的には大仏は正面から見るよりも、どこかを見つめている様子を伺うのが好きだ。

木々を映すことで大仏の異色さ・厳かさ・霊性の写真上への再現を試みる。

自然の中に人工的な巨体が現れる、この文言だけ読むと大変近未来的であるが、しかし大仏は確実に過去に造られたのである。日本の神秘さよ美しさよ厳かさよ、世界に轟け。

尚、過去の写真データを漁って分かったのだが、約10年も前に訪れた香港やタイで私が撮影した仏像写真もやはり横から撮影している。人の癖はそう簡単には変わらない。

香港の天壇大仏。
とんでもない角度から撮っている。
当時から巨軀な大仏像が醸し出す
畏怖性を愉しんでいた。
この種の畏怖性はインターネットでは
再現不可能、リアルな体験によってのみ
感じることができる。
タイのアンコールワットのスリムな仏像。地平線の果てに顔を向けている。
幼少期に観たタイが舞台であるウルトラマンハヌマーンの記憶が蘇った。
ウルトラマンハヌマーン
(出典:インターネット上より拝借)
(脱線にも程がある)

話を鎌倉に戻す。

F値をぐっと下げることで接写方法を体得した。
いい感じに背景をぼやかせている。

鎌倉大仏から銭洗弁天の道中

さて、大仏の撮影を終えて、徒歩で銭洗弁天を目指す。
本当は先に「鎌倉歴史交流館」に立ち寄りたかったが時間がなくこちらは断念した。旅や探索はその土地の歴史を理解することで、受け取る非言語の情報量が増える事を信じている。

実は錆びた物体にも惹かれてしまう。
錆びの様子からこの場所でひたすら重ねた時の長さを考えている。
破壊具合からもこの形状に至るまでの時間と
おそらく植物による破壊までの試行回数を考えると眠れない。
宇宙的スケールである。
5000年後の人類が見たら、ここから何を想うのだろうか。
そんなことを考えながら銭洗弁天へ向かっている。

銭洗弁天

ここには幼少期から何度か訪れているが、毎回心の中で感嘆の声を上げている。古都京都も整列された街並みの美しさがあるが、こちらの古都鎌倉は山川草木の自然と不規則に融和した寺院仏閣たちが魅力である。

銭洗弁天への入り口。鳥居の先は洞窟である。
地元の愛犬家達が鳥居の前で世間話をして
(中に入らず)去って行くほど土着化している。
美しい朱色。
何年間この発色を保っているのだろうか。
外国人が見れば「Red」と言うだろう。
しかし我々日本人には「朱色」と識別できる分解能がふしぎとある。
洞窟を入り口方向に振り返ってみる。
この薄暗さはマニュアルでは難易度が高いためオートで撮影した。
トンネルを抜けると苔の生(む)すまでそこに存在している灯籠達。
当時この自然の中でここに火が灯っていた景色を想像すると、
タイムスリップしたくなる。
下之水神を正面から。
背面の岩壁と足元の川との融和がなんとも鎌倉らしい。
橋を戻ると狛犬越しに小滝が見える。
いよいよ銭洗弁天。浅い洞窟の中にあるのだが、
入り口の写真を撮り損ねてしまった。
日本でも有数の景色であるからぜひ訪れて確認してほしい。
銭洗弁天の提灯の足元には池と貨幣の洗い場がある。
手順は現地に行けば説明の記載がある。
奉納の記録。営利団体が保全の為に奉納するほど鎌倉のシンボル・誇りなのかもしれない。
本宮も洞窟内にある。神聖な雰囲気がある。
三角の印は北条家の家紋「三つ鱗文」。
ゼルダのトライフォースではない。
銭洗弁天の出入口の先には常香炉がある。
低い石造の鳥居。
続いて木造の鳥居達。
狐の置き物達。売り物ではなさそうだ。
境内の様子。社務所はこちら。
この視線の背面にトイレがある。
ユニークな水おみくじもお試しあれ。

小町通り(素通り)

これまでの撮影で目視に近づけるために「少しくらくしたい」と「接写」を体得した。
銭洗弁天を後にして鶴岡八幡宮に行くためにまずは小町通りを目指す。

道中で行きたかった「鎌倉歴史文化交流館」の外観だけ撮影。
数多の神社と寺が存在する鎌倉の土地でキリスト教の運動もあった模様。
キリスト教の伝来時の状況に興味が湧く。
幕府の影響力は?神道や仏教との対立は?なぜキリスト教を布教するのか?
疑問が尽きない。
文字の迫力に惹かれて撮った写真。
後に調べると今もなお現役の鍛治場とのこと。
体験も出来るようでまた楽しみが増えた。
詳細:https://attractive-j.rezdy.com/290821/24
古物屋さんだろうか。店舗の雰囲気と扱う民芸品の雰囲気が相まっている。
幅のある線路を渡ると向こう側を撮りたくなる。
ようやく小町通りに到着。
時刻は夕暮れ、電飾が灯り始める。
堂々と歩くハトを撮るもこの有様。
ここでようやくシャッタースピードを意識する(遅い)。

カレーハウス キャラウェイ

素通りの小町通りから鶴岡八幡宮の正面へと続く若宮大路に抜けるときに、カレーの香りが漂い気付けば入店していた。

並で白米550gの衝撃。中辛くらい。福神漬けは4種類あった。
完璧なタイミングで水のおかわりを注いでくれる。830円。

16時頃の入店のため直ぐに席につけた。調べると時間帯によっては行列を作るそうだ。

鶴岡八幡宮

腹を満たし脳を糖質(米)で満たした頃には辺りは一段と陽が降りていた。
早速、若宮大路を登り鶴岡八幡宮へと歩む。

ここからカメラチェックも終盤に差し掛かる。

劣化していく標識に哀愁を感じる。
二の鳥居を抜けた風景。
鶴のマークは鶴岡八幡宮のシンボル。
橋を渡って本殿を目指す。
池の風景。日本庭園のような木々と池の親和に、
季節ごとの景色、生態する鳥を観察するのも楽しみである。
美しい対称的な構造物。
日本語初級の外国人が見たら上がるのが下がるか混乱しそう
などと考えながら撮影する。
ハトで気付いたシャッタースピードを操作し人波を表現する。
本宮へと続く階段。一の鳥居から見事に一直線上に位置する。
見上げるほどの巨大さ。
圧倒される。
陽が落ちたので電飾が映える。
シャッタースピードを落としているのでカメラの固定に意識を集中する。
願いの詰まった絵馬掛け。
傍に逸れると鳥居が現れた。
狐も新年仕様。
完全に陽が落ち灯籠が灯る。
味わいのある木箱。
もう一度酒樽を撮る。
このデザインが好きだ。
もう一度シンボルの鶴。
JALではない。
この辺りからISOの扱いに慣れてきた。
例えばこの様なコントラストと光線を意図的に作れる。
昼の様に光量を操作。
実際には日没している。
水面に反射する風景を愉しむ。
別角度。
更にISOを上げてF値を絞る。
シャッタースピードを遅らせる。
光量を上げて初めて確認できた注意の看板。
危ない。
自然の中で人工物が発する光も畏怖性がある。
街灯が水溜りを教える。
カメラの性能限界まで光量を上げる。
日中の様に水面に投影される。
別角度。
和の構造物が水面に投影される景色に没入している。
手前に枝葉を持ってきて遠近感を出す。

この頃にはカメラの3要素、シャッタースピード、絞り、ISOの感覚をつかめてきた。撮りたい写真を撮れるようになってきた。

最後に二の鳥居の手前で光で遊ぶ。

車のヘッドライトの残光で軌跡を造る(左側)。
光量を上げて先ほどの写真とのコンディションを比較する。

まるで6弦の仕組みを理解してギターのコードを鳴らしてみるような手作業が小気味良い。職人気質。納得の行く迄鳥居を撮影し続ける。

今回のカメラチェックでは、日没前後を跨げた点が、技能向上に役だった。光量のコントロールが出来ると撮影が楽しい。

そして、限りなく実際に目にした色彩、光量、画角に近づけ、そして到底言語化出来ない感覚、霊性、畏怖性といったものの表現方法を探求したい。

最後までお読み頂きありがとうございました。

歩き疲れたので帰りはグリーン車

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