逃げ続けた自分からの小さな脱却
娘は小学校の5年生で野球を始めた。
娘が野球をすることには反対はしなかったが、親同士の付き合いや子ども達と新しく関係を作るのが億劫で逃げていた。
大事な試合や卒団式だけはでたが、練習には一切参加せず。
迎えに行くときも車から出ず、娘が車に乗り込むのを待っていた。
卒団式の打ち上げは、当然のことながら周りと打ち解けるハズもなく、そしてその場だけだから打ち解けなくてもいいと思っていた。
要は自分が新しく関係を作ることから、逃げていたのだ。それが自分にとって楽な方法だから。
ところが、娘が驚くことに中学生になっても野球を続けることになった。それも部活ではなく、硬式野球のクラブチームに。
もう、逃げることができなくなった。当たり障りのない存在感で、とりあえず参加だけはするようにした。
そして、娘の1年生大会の日。誰よりも夢中で応援している自分がいた。と同時に小学校の娘の野球に参加しなかったことを後悔した。
私以外の親が子ども達の指導して、審判もして、本当に申し訳ない気持ちになった。
そして昨日。硬式野球の練習日だったが雨で中止になったが、雨は小康状態だったので、小学校のときに入っていたチームで練習させてもらうことに。
コーチ達が20時まで練習してくれると知ったのは、風呂に入る直前だった。
湯船の中で考えた。
「このままでよいのか?練習に参加した方がいいんじゃないか?」
「いやいや、お前が行ってもやることないし今さらどんな顔して参加するのか?」
「行って変な雰囲気になったらどうするの?」
負の感情の方が先行したが、なぜかここで逃げたらいけないような気がして小学校のグラウンドに向かった。
2年間、逃げ続けていた娘の小学校のグラウンド。
練習している光景が見え、近づいている私の足は震えていたかもしれない。
「緊張」という言葉では足りないくらい、胸がぎゅっとなり、反対を向いて帰りたいという衝動を抑え一歩一歩向かった。
子ども達は誰?っていう顔で私の方を見つめたが、私は構わず声を振り絞って「こんにちは」っと声を出し続けた。
私のことを知らない子ども達は、返事を返したり返さなかったりさまざまだが、そんなことを気にする余裕はなかった。
コーチ達からも不思議な目で見られたが、「ボール拾いでもなんでもよいので、手伝わせて下さい」と伝えた。
トスバッティングでは、私の投げるボールが悪く子ども達が打ちにくそうで、コーチから指導を受けた。最終的にボール拾いくらいしかできることはなかった。
泥だらけになってボールを拾いながら、役に立たなかった私だが、少なくとも今日踏み出した一歩は、次回の練習に参加するハードルだけは下がったと思う。
コーチ達も子ども達とも、全然馴染めていないが、震えながらグラウンドに向かっている私に気づいた娘が
「なんしよるん、なんでおると?」
と嫌そうに、だけど少しだけ嬉しそうに見えた表情が、なぜだか妙に嬉しかった。
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