定義があると安心する

身の回りにはたくさんの言葉の定義があり、私たちはそれに支えられて生きています。

時代が進むに連れて定義はどんどん増えて、昔は定義されていなかった状態も、今は名前がつけられています。

例えば、「エモい」。これはエモーショナルが形容詞化したものだと思うんですが、「感傷的な」状態を表すときに使う言葉です。人によって使い方と意味合いが少しずつ違うのも面白いですよね。

あと、「パワハラ」。「パワーハラスメント」の略で、主に上司から部下への高圧的な態度、攻撃的な言動やなんかを定義した言葉です。

新しい言葉の定義が増えることは、良い側面と悪い側面があると思っています。

良い面は、定義が増えるので、物事をより一般化しやすくなること

しかしこれは悪い面と表裏一体で、一般化しやすくなると、なんでも一般化しようとする傾向が増長されてしまう可能性があると思っています。

何を言っているかというと、例えば「パワハラ」という言葉があり、その定義がありますが、意味合いは実は曖昧で、当事者次第です。

「本人がパワハラと思ったらそれはパワハラ」それも正解だと思います。

だけど、その言葉の定義があるからこそ、「そのものではないけど似た状況」を無意識のうちに「パワハラ」と認識しうる、することがある、とも思っています。

よくTwitterで、「この状態に名前をつけてくれ」的な投稿を見かけますが、まさにそんなことで、人は身の回りの全てを一般化しようとしていて、全てに名前と定義、あわよくば前例を欲します。

なぜなのか、正確な理由は分かりませんが、「一般化して安心したい」ということなのかなと思っています。

新しい便利な言葉は歓迎されるべきでどんどん使いたいですが、自分が置かれている状況を「定義されている言葉」に寄せて認識してしまわないように、冷静でいることに努めたいです。

今日の日記を最後に書いておきます。

今日は午前中に外出してお客さんに謝ってから、帰宅してリモートワークでした。

昼ごはんはラーメン、夜ご飯は麻婆茄子丼です。

あと、昨日デスクに置く緑が届きました。

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可愛いですね。

以上です。

それでは。

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