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エモい

私には知らない事がたくさんある。

毎日触っているスマートフォンが、どういう仕組みで動いているのか知らない。

毎日飲んでいるコーヒーを、誰が一番最初に発見したのか知らない。

毎日顔を合わせるあの人が、腹の底で何を考えているのか知らない。

人類はみな、全知全能にはなれない。

広い意味で全員何かのスペシャリストであり、完璧なジェネラリストはいない。

多くの事を知らない私は、かつてあの「エモい」の意味すら知らなかった。

いや、エモーショナルの形容詞化なのは初めから知っていた。

なんとなく「情緒的でいい雰囲気」なことを指すんだろうくらいの認識だった。

昔は、情緒的なものはなんでも「エモい」という言葉で褒めそやし、祭り上げていた。

そして「エモさ」はその栄華の裏で、暴力性の隠れ蓑になっていた。

一見するとエモい文章や発言でもフィルターを外すと印象が一転し、暴力的になる事があった。

御涙頂戴物語で、主人公の軽犯罪が感動に紛れて許される感じに近いかもしれない。

昔はそれで、暴力性を誤魔化せた。

刃物をエモさでコーティングすると、見る人を騙せた時代があった。

「エモさ」のパワーが偉大だったからだ。 

全員が「エモさ」の正体を知った今となっては、それはただの小細工に過ぎない。

不用意に「エモさ」を隠れ蓑にすれば、すぐに看破され、叩きのめされる。

私はそれを可哀想だとは思わない。


私は、スマートフォンの画面に目を落とした。

まだこんな文章を書く人がいるのか。

エモけりゃいい時代なんてとっくの昔に終わったのに。

コンタクトレンズを通した視界で文章が認識され、警告を示すアイコンが点滅した。

「最悪だな」

私は鼻で笑って、スマートフォンの灯りを消した。

無理は言いませんし、そう簡単に得られるとも思っていませんが、サポートしていただけたらそのお金で買ったことのない飲み物を買います。