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塀のない刑務所(大井造船作業場)⑭

「自治委員・一班リーダー」

 「おろかし!三役会議で自治委員に推したからな!衛生委員な、いけるよな!」
 一班リーダーに呼ばれて告げられた。
 自治会長は職員さんが決める。各班リーダーは自治会長と職員さんで決めるが、自治委員は会長とリーダーで決め、職員さんはほとんど関与しない。

 現在の衛生委員のNさんは、出所する訳ではではない、一級生に落とされるらしい。

 三役会議とは、自治会長と各班リーダーだけの会議である。
そこで新入生、二級生、一級生、自治委員の生活態度などの情報を共有し、序列の変更がされる。
 例えば、一級生が十人いたとすると、十人の順位を決める。二級生、新入生も同じ様に順位を決め、序列表を作り、職員さんに報告し、廊下に張り出す。
 規律違反を犯したり、態度が悪かったり、やるべき事を忘れたり、必要以上に二級生や新入生を怒鳴ったり、暴力的な事(いじめ)をすると、自治委員でも落とされる。
 自治委員から、一気に二級生に落とされる事もある。
そうなると、自分より後から入寮した人に追い抜かれると同時に、昨日まで威張り散らしていた相手から、自分が怒鳴られる、立場が逆転するのである。根に持っている人は、序列を落とされた先輩に対して、ここぞとばかりに怒鳴り、命令ばかりする奴もいた。大井のルール上間違いではないが、腑に落ちない、異様な光景に見えた。
 落とされた事を理由に、本所に帰して欲しいと職員さんにお願いする奴もいたが、職員さんが却下した。落とされた事だけでは戻したりはしない。
 基本的に職員さんも本所には戻したくないのである。

 幸いにも、そしてなぜか、私は一級生の中でも常に上位の方にランクされていた。
 同期の三人は以外に思っただろう。特にHさんは、私の事を訓練の時から嫌っていた。
 彼は一年以上も待たされて訓練生になったという事もあり、
一ヶ月で訓練生になった上に運動も出来ない私を、妬んでいたのかもしれない。訓練でリーダーに怒鳴られ、ヤメロと言われてる時もHさんも一緒になってヤメロと言ったり、何かにつけて嫌みを言って、完全に私の事を見下していた。他の二人はそんな事は無かったが、Hさんは酷かった。
 しかし大井に来ると、新入時から立場は逆転していた。
彼の方が毎日怒鳴られて、訓練の時の彼の姿は見る影もなかった。
 一級生になってからも、彼は何度か二級生に落とされていた。自分より弱い立場の二級生や新入生に対して酷かったらしい。
 彼は二度預かりを経験したが、二人とも彼に耐えられず本所に戻ったので、職員さんから自治会長に、Hに預かりはやらせるな、と異例の指示がでたほどだった。
 本所に戻るという事は、その後の人生にも影響すると、大袈裟ではなく、私はそう思っていた。Hさんが原因で本所に戻った二人が、何を背負い、何を思って、大井に来たかは分からないが、社会復帰が延びる事だけは確かな事なのだ。外で待ってる家族がいる事も確かな事なのだ。

 基本的に、預かりを経験しないと自治委員にはなれない。Hさんは、職員さんからの指示が出た時点で、その道は断たれたようなものだった。
 私も二度預かりを経験したが、人の面倒を見るというのは難しく、責任を伴うと思っていた。私自身も預かりのMさんに救われた事で、スムーズに大井の生活に入っていけたので、新入生もここの生活に馴染めたらいいなという思いだった。
 二人共それぞれ大井の生活に慣れるにつれ、一級生になった頃、それぞれタバコで本所に戻された。残念だったが、原因がタバコという事は誘惑に負けたのだろう。工場には誘惑が多く、本工さんと仲良くなって、ばれないで上手くやっていた奴もいたらしい。

 自治委員には、体育委員、教養委員、編集委員、衛生委員、連絡委員がある。
 連絡委員は経理班リーダーが兼ねたり、経理班から選ばれる。
狭き門といえばそうかもしれない。そして自治委員は基本的に暇である。
だから皆、そこを目指していた、自分の時間が増えるのと、怒られる事も極端に少なくなるからである。
 しかし私の本音は、自治委員になりたくなかった。忙しい一級生のままで良かった。そんな事を言うとどうなるか、見当もつかなかったので怖くて言った事はなかった。
 衛生委員の仕事は、週に何度か治療室を開け、主に水虫の薬や痒み止めの薬を希望する人に配るのである。頭痛薬や胃腸薬などは、職員さんに報告して、事務所で処置してもらう、体調不良で工場の作業を休んだ人の経過報告も役割の一つだった。
 皆の散髪も衛生委員の仕事である。
 友愛寮には理髪室があり、昭和の床屋さんをそのまま再現した理髪室である。椅子は二つ、道具もバリカンから理髪用のハサミ、髭剃り用のカミソリまで全て揃っている。入寮して初めて見た時は驚きの部屋だった。

 私は一級生の時から手伝っていた。その頃、理髪経験者がいて、彼は二級生の時からやらされていた、彼がほとんど散髪していた様に思う。私は彼に教えて貰おうという考えもあって、その時の一班リーダーにお願いした。
 私は仕事がしたかっただけだが、リーダーはヤル気のアピールと捉えたらしく、私の評価はアップした。
 私が自発的に自治委員の仕事を手伝ったために、そういう人が何人かでてきた。他の一級生の中には「余計な事をしやがって」と思う人もいたらしい。
 それでも私はそんな事は気にせず、参加クラブも増やしていた。

 妻は仕事をしながら、二人の息子を育てている、仕事から帰って食事を作り、子供達の事、家の事、職場の事で、忙しく毎日を過ごしているだろうと
いつも考えていた。
 前の刑務所では、ダラダラとした刑務作業以外何も出来なかったが、大井では、やろうと思えば出来るのである。隙間時間、暇な時間を作りたくなかった。それでも妻の苦労に比べれば一ミリも及ばない、そう思っていた。
 リーダーや会長がアピールと受け取ってくれたのは、ラッキーだった。

 作業着の破れを直すミシン係も私が受け継いだ、ミシンも散髪も初めて経験する事である。
 作業着は何度も継ぎ接ぎをして、生地が薄くなり、継ぎ接ぎが出来なくなるまで着るので、古くなるとすぐに破れてしまう。修理の依頼は絶えなかった。

 会長やリーダー、他の人が、アピールではなかったと気づいたのは、私が一班リーダーになってからも、散髪やミシンをそのまま続けていたからだろう。
 一班リーダーになった時に、その時の会長から「いい加減、他の奴にやらせろよ」と言われたが、そのまま続け、散髪もミシンも出所するまで続けていた。
 「変わります」と言ってくる、自治委員や一級生もいたが、好きでやってるから、と言って変わらなかった。
 普通はリーダーの権限で楽をしていくのだが、私はリーダーの権限で仕事を増やし譲らなかった。

 時々職員さんから、寮内の簡単な修繕やペンキの塗り替え等々、頼まれる事もあった、普通そういう時職員さんは、自治会長に指示を出し、会長から私達に指示するのだが、その時の会長に代わってから、職員さんが私に言ってきた事があった。その職員さんとしては何の意図も無かったと思う、当然である私達は受刑者なのだから。しかしそれがその時の会長は面白くなかったようだった。もちろん私は会長に報告をして作業にあたった。
 そういう作業は土、日の空いた時間で少しずつやるので、序列の下の人に無理強いはしなかった。
 手伝える人だけが手伝ってくれたらいいという考えだった。
そんな風に自分で自分を忙しくしていく私を、疎ましく思う人も何人かいたようだった。
 その時の自治会長は、基本的に横着で私の事を疎ましく思う側の人だった。私に無理強いする事はなかったが、疎ましく思っている人達と陰で何か言っている事は感じていた。

 しかし私は、ここは刑務所なんだと、自分に言い聞かせていた。
楽をする為に大井に来たわけでもない、厳しいと言うから来たのだ。
 最初の気持ちは、忘れたくなかった。


 拙い文章を読んで頂きありがとうございます。
 これは十年以上前の私の受刑生活を基に書いていますが
 受刑者が特定できそうな事柄は多少変更して書いています。

拙い文章ですが、サポートしていただけたら幸いです。