マガジンのカバー画像

塀のない刑務所

17
運営しているクリエイター

記事一覧

塀のない刑務所(大井造船作業場)①

 舎房の中は、昼間だというのに薄暗い。 流し台の前に立ち、手を洗いながら鉄格子の向こうに、何気に外に目をやると、五月の陽射しが中庭のアスファルトに照り返し、薄暗さに慣れ切った脳には眩しく、目を細めた。  しかし陽射しは、舎房の中までは届かない。  ここでは立ち上がり、外を眺めているだけで、刑務官に注意を受けるような場所である。  私は、注意されるのも面倒くさいと思い、小さくため息をつきながら、自分の小机の前に座った。  私が居住している舎房は、八畳一間に、私を含む七人の大の

塀のない刑務所(大井造船作業場)②

 私の刑期は6年、罪名は強盗致傷、重罪である。  バブル崩壊後、高卒から務めてきた会社は倒産、地方の不況はただならぬもので、高卒で社会に出た時はまだ景気のいい時だったので、仕事が無くなるなどと、思ってもみなかった。  転職した会社も倒産し、家のローンの支払いもままならなくなり、お金に困ったあげく、民家に入り込み住人に傷を負わせ、その場で逮捕された。  これまで塀の中で過ごした約一年の中で私は、塀の中では『何も出来ない、何もしてやれない』事を知った。  どんなに自分の犯した罪

塀のない刑務所(大井造船作業場)③

 面接から二週間ほど過ぎた頃、また作業中に呼ばれた。今度はコーヒーとタバコの匂いが充満している建物ではなくて、私達が昼食をとる食堂で、金線が待っていた。「もう一度確認するが、大井に行きたいか?」と聞いてくるので、もちろん「行きたいです。」と答えると、また「厳しいぞ」という言葉を何度も口にした。  普通の刑務所の職業訓練と違い、募集は一切していないが、これまでの私の受刑生活を見て推薦はできると言ってくれた。そしてなぜ、そんなに行きたいのか、と聞くので、私は正直に、これまでの一年

塀のない刑務所(大井造船作業場)④

「手錠 腰縄 飛行機」 明日の移送の事を考えると憂鬱だった。手錠、腰縄で電車に乗るのかと、想像しただけで憂鬱だった。  しかし予想外、なんと移送手段は飛行機だった。  その日の朝は早く、朝食も通常より早く済ませ、他の人達の工場出役よりも早く舎房を出た。  私の荷物はカバンがひとつだけ、機内にも楽に持ち込める小さなカバンである。  私の所為で愛媛まで出張する事になった刑務官二人と、手錠腰縄の私は、ワゴン車に乗り込み空港に向かった。  車内のガラス窓はカーテンで閉ざされ、外を見る

塀のない刑務所(大井造船作業場)⑤

 「考査工場から四工場へ」  考査工場は、前期と後期とがあり、新入の一週目が前期、二週目が後期となり、二週目を終えると、各工場へ配役となる。私も前の刑務所では、その過程を経て印刷工場へ配役となった。  前期十名、後期十名が、これからの受刑生活を送る最初の同囚となった。  前の刑務所では、刑務官が全てを指示し、受刑者は一挙手一投足その指示に従い動いていたが、ここは少し違っていた。  ここでは雑役さんという役割の受刑者が、言葉使い、態度、全てが威圧的に指示を出してくる。刑務官

塀のない刑務所(大井造船作業場)⑥

 「大井訓練生」  二月、四工場に配役されてからわずか一か月で、大井訓練生としての生活が始まった。  真冬の暖房器具など何ひとつ無い、凍える塀の中の冬なのに、なぜか寒さを感じなかった。  広い四工場の奥の片隅に、大井訓練のスペースがある。  訓練リーダーの元で、溶接やガス切断等の練習をするのだが、そんな技術的な事などどうでもよく、何よりも大井で耐えられる体力と忍耐力を身に付ける事に、重きを置いた訓練だった。  舎房も移り、私を含めた六名と訓練リーダーを合わせた七名である

塀のない刑務所(大井造船作業場)⑦

「自治会 新入訓練班と預かり」 春四月、中庭の桜は散り始めていた。 私達四人はマイクロバスに乗り込み、大井へと出発した。 約一時間半のバス旅である。  私達に、手錠、腰縄は無い、窓のカーテンも全て開いている。 すでに「塀のない刑務所」は始まっていた。  車窓から、何基もの大型クレーンが、大空を突き刺す様に伸びているのが見え始め、やがてバスは造船所の門をくぐった。  バスの中は、緊張感で息苦しくなっていた。心臓のドキドキが止まらない。  友愛寮の前にバスが止まり、ドアが開いた

塀のない刑務所(大井造船作業場)⑧

「友愛寮」 友愛寮は鉄筋コンクリート五階建ての建物である 学校の校舎の様に横に長い。四階と五階が私達の居住スペースとなっていた。  四人部屋に二段ベッドが二つと、かなり古い木製のタンスが各自に一つあり、学校の机と同じ様な机が四つ窓側に、外に向かって並んでいる。  どの窓にも鉄格子は無い。  机の前のアルミサッシのガラス窓を開けると、広い造船所の屋根がすぐ目の前にある。奥の方は遠くて見えない、造船所はかなり広い。  廊下のアルミサッシにも鉄格子は無い、各部屋のドアにも鍵は無い。

塀のない刑務所(大井造船作業場)⑨

「起床・出役・工場」 大井での生活は朝起きた瞬間から忙しい。  普通の刑務所と違い、起床の合図はチャイム等ではなく、J,POPや洋楽が寮内のスピーカーから流れる。選曲は会長とリーダーが決め、職員さんの許可を得てタイマーをセットして流している。  私が入寮した時は、安室奈美恵ばかり流れていた。会長か誰かがファンだったのかもしれない。  しかし下期生にとって、そんな事はどうでも良かった。  「あ~もう朝かぁ」と背伸びしながら起きる朝は、一日たりとも無い。  音楽が鳴るまで起き上

塀のない刑務所(大井造船作業場)⑩

「クラブ活動] 私達受刑者の寮への出入り口は、寮に向かって左側にある、非常階段の一階非常口が私達の出入り口になっている。  建物の中央にある、外階段を上がった二階正面玄関は使わない。掃除する時だけ許される。  一階出入り口を入ると、マグネットボードが壁に貼られている。そのボードには、寮外、寮内、そして寮内の各部屋が書かれている。  各自の名前が張られた丸いマグネットを使い、自分が現在、何処にいるかを示すのである。休日に使う事がほとんどだが、例えば図書室に行くのでも、五階からこ

塀のない刑務所(大井造船作業場)⑪

「電話」 本所に戻りたいと思った事もなく、本所に戻される様な、誘惑やトラブル等に巻き込まれる事も無く、三か月が過ぎ、私は一級生になっていた。  大井では一級生になると、家族に電話が出来る。  訓練の時に、その事を知ってから、一度は妻に電話をかけようと決めていた。  何月何日何時誰に、という申請書を職員さんに提出し、他の人と重なっていなければ、許される。  しかし、いざ電話が出来る環境に身を置くと、悩んだ。 「電話などしても、いいのだろうか」「なんて言えばいい」 後で思うと

塀のない刑務所(大井造船作業場)⑫

「奉仕作業」「ビデオ鑑賞会」 普通の刑務所では、土、日、祝祭日は、刑務作業は休みなので、やる事など何も無く、むさ苦しさで呼吸困難になるのではないかと思う舎房の中で、 ただ「ボー」っと過ごすだけだが、大井では土、日も予定はいっぱいである。  工場の仕事は休みだが、奉仕作業、会議、資格試験の実技の練習等のスケジュールが必ず組まれていて、何の予定も無い日は無かった。  大井でいう奉仕作業とは、造船所からの依頼を受けて行う作業である。  ショット場清掃作業、船内清掃、どっく溝清掃

塀のない刑務所(大井造船作業場)⑬

「職業訓練」 大井は職業訓練の刑務所である。 それが最大の目的の刑務所とも言える。  そして私が大井に来たかった理由の一つでもあった。  何の資格もなく、出所してからの仕事に不安があった私には、最大の目標であった。  取得出来る資格は、アーク溶接、ガス切断、玉掛、移動式クレーン、天井クレーン、フォークリフト等であった。  全員が全ての資格を取得出来るわけではなく、試験日と残っている刑期によって、それぞれ違う、刑期が長い人ほど多くの資格が取得出来るという事である。  ガス切断

塀のない刑務所(大井造船作業場)⑭

「自治委員・一班リーダー」 「おろかし!三役会議で自治委員に推したからな!衛生委員な、いけるよな!」  一班リーダーに呼ばれて告げられた。  自治会長は職員さんが決める。各班リーダーは自治会長と職員さんで決めるが、自治委員は会長とリーダーで決め、職員さんはほとんど関与しない。  現在の衛生委員のNさんは、出所する訳ではではない、一級生に落とされるらしい。  三役会議とは、自治会長と各班リーダーだけの会議である。 そこで新入生、二級生、一級生、自治委員の生活態度などの情報を