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塀のない刑務所(大井造船作業場)⑤

 「考査工場から四工場へ」

 考査工場は、前期と後期とがあり、新入の一週目が前期、二週目が後期となり、二週目を終えると、各工場へ配役となる。私も前の刑務所では、その過程を経て印刷工場へ配役となった。
 前期十名、後期十名が、これからの受刑生活を送る最初の同囚となった。

 前の刑務所では、刑務官が全てを指示し、受刑者は一挙手一投足その指示に従い動いていたが、ここは少し違っていた。
 ここでは雑役さんという役割の受刑者が、言葉使い、態度、全てが威圧的に指示を出してくる。刑務官はというと、見上げる程の担当台から、私達受刑者を見下ろしているだけだった。
 そして普通の新入受刑者と、大井要員と呼ばれている、私を含む四名とでは、扱いが全く違っていた。
 ラジオ体操では、号令役を命じられ「声が小さい」と何度もやり直しさせられ、終いには、今まで出した事のない大声で号令を掛けていた。
また、呼ばれた時の返事が小さいと、これもまた全力の大声で「はい」という返事を何度も繰り返した。
 運動時間に行う歩行訓練でも、出来てないといい、運動時間が終わり、工場に戻ってからも、私達四人だけが工場内で「イチ、ニー、イチ、ニー」と大声で号令を掛け足踏みを続けた。
 その為初日で喉はつぶれ、ガラガラ声になっていた。
 大井要員に厳しいのは、大井は更に厳しいから最初から厳しくしろと刑務官に命じられているらしいとか、雑役さんや他の受刑者の「妬み」も含まれているらしいと、ずっと後で他の受刑者から聞いた。もちろん真偽の程は定かではない。

 二週目の後期生になると、配役審査会という面接がある。事件の事や家族の事、そして一応希望の工場を聞くのだが、希望通りになる事はないらしい。
 大井要員である私達四名の配役先は既に決まっていて、金属工場と呼ばれている四工場である。大井要員は必ず四工場に配役となり、そこで受刑生活を送りながら、大井訓練生になるのを待たなければいけないらしい。
 考査期間が終わる頃が年末に近かったせいか、お正月を挟んだ一月の二週目に四工場に配役となった。

 四工場はかなり広く、前の刑務所の印刷工場の十倍以上ありそうな広い工場だった。その広い工場に旋盤やボール盤、切削機、プレス機、溶接等々、多種多様な機械が何台も並べられ、一般社会の工場にも負けず劣らず充実した設備が整えられていた。
 それらの機械を使い、船舶用部品や、農機具の部品を製造していた。

 四工場では、全部で五十人程の受刑者が、騒々しい機械音の中で、
「ハーイ!離席しまーす!」
「ハーイ!作業指導願いまーす!」とかなり大きな声で、
いちいち担当刑務官の許可を取りながら、刑務作業に励んでいた。

 そんな騒々しい工場の中で、ひと際目立っていたのが大井訓練生である。
常に全力全開の大声と、『異様』なまでのメリハリある動きで、工場内を動き回っていた。

 大井訓練生になるのを待たされている大井要員が、四工場には何人もいた。誰が大井要員で、誰が一般受刑者なのか、配役間もない私には知る由もなかったが、長い人では、一年以上待たされている人もいるらしかった。
 四工場に配役されてから大井についてのリアルな情報が耳に入る様になっていた。
 大井は希望すれば行ける、そんな場所ではなく、ほとんどの人は、全国の分類センターという刑務所に入る前の施設で『厳選』された人が最初から、松山刑務所に送られてきていた。
 私の様に一年も他の刑務所で過ごした後に、大井要員として移送された人は稀らしい。
 四工場で一年も待たされる理由は大井の定員の事もあるが、残刑、残りの刑期が関係していて、残刑から逆算して順に大井訓練生になっていくと、
他の受刑者から聞いた。

 私は受刑者同士の話ほど不確かな事はなく、噂話やホラ話、憶測を、
さも真実のように話す受刑者がいかに多いかという事を、今までの受刑生活で学んでいた。
 しかし噂通りなら、私も一年近く待たされる事になる。自分が予想していた事とは,全く違う展開の連続に、かなり落胆していたが、ここは刑務所、
しょうがないと自分に言い聞かせ、目の前の一日を何事もなく過ごそうと、気持ちを切り替えるのに必死だった。

 しかし、待たされている大井要員に妬まれながら、「なぜ?」と思われながら、四工場に配役されてわずか一ヶ月で大井訓練生になる事が決まった。
 心の中で、半分は喜んでいたが、半分はかなり不安だった、嫌、怖いという表現が的確だったかもしれない。一ヶ月間四工場で刑務作業をしながら、大井訓練生の訓練を横目で見ていて、私は金線が何度も繰り返していた、
厳しいという言葉を思い出していた。
 金線が実際目にしたら、どんな言葉で表現しただろう。

 訓練は二ヶ月、この二ヶ月で脱落する人もいるらしい、
 何があっても、大井造船作業場に行って、一日でも早く出所する、そこからが償いだと、自分に言い聞かせ、その言葉をノートに何度も書き続けた。


 拙い文章を読んでいただきありがとうございます。
 この文章は十年以上前の私の受刑生活を基に書いていますが
 私以外の受刑者の事や、季節、月等々は多少変えて書いています
 

 

拙い文章ですが、サポートしていただけたら幸いです。