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塀のない刑務所(大井造船作業場)⑦

「自治会 新入訓練班と預かり」

 春四月、中庭の桜は散り始めていた。
私達四人はマイクロバスに乗り込み、大井へと出発した。
約一時間半のバス旅である。
 私達に、手錠、腰縄は無い、窓のカーテンも全て開いている。
すでに「塀のない刑務所」は始まっていた。
 車窓から、何基もの大型クレーンが、大空を突き刺す様に伸びているのが見え始め、やがてバスは造船所の門をくぐった。
 バスの中は、緊張感で息苦しくなっていた。心臓のドキドキが止まらない。

 友愛寮の前にバスが止まり、ドアが開いた。その瞬間「さっさと降りろ」
「荷物を持ってついて来い!」と白いツナギ姿の二人の男の命令口調が飛んで来た。
 私達は「ハイ!」「ハイ!」と全開の返事と、異様な機敏さで、二人の後をついていった。
 すぐに領置調べが始まった。白いツナギの二人も受刑者である。
受刑者が領置調べをするのか、と思いながら、姿勢は直立不動、返事は全開である。
 普通の刑務所で行われる、全裸四つん這いの屈辱的な身体検査はもう無かった。

 二人は経理班リーダーと新入訓練班リーダーで、他の人は工場に出払っていた。
 私達も真新しい白いツナギに着替えさせられ、昼食時に皆が戻って来た時に食堂で行われる、新入歓迎会の練習に移った。
新入歓迎会と言っても、自己紹介である。
 新入訓練班リーダーの指導で、席の立ち方、座り方、皆の前までの歩き方、四人がキレイに揃うまで、やらされた。けれど訓練の時のような恐怖は感じていなかった。
 自己紹介は皆の前で、名前、出身地、年齢を言うだけなのだが、応援団長さながらの大声で自分をアピールするのである。
 練習を終え、私達四人が各々の席で、背筋を伸ばし、手は太ももの上に指先まで揃えて置き、微動だにせず待っていると、外から「ハイ!」「ハイ!」「ハイ!」と大勢のそれも見事に重なった声が響き、安全靴の重い靴音が廊下を走り食堂に入って来た。私達は正面を向いたまま動かない。
 作業で汚れたツナギ姿の皆が席に着いた。まだ息が整っていない人もいる。はぁはぁと整わない息を懸命にこらえているのが、見なくても感じられた。
 自治会長が前方斜め前に立ち、新入歓迎会という名の、自己紹介が行われた。時間にしてわずか十分足らずだが、緊張でツナギまで汗で濡れていた。
 すぐに昼食である、会長の「いただきます」の合図で全員が揃えて
「いただきます」と返し、食事が始まった。

 私達が入寮した時友愛寮には、私達を含め二十八名の受刑者が生活していた。友愛寮というのは、私達が生活をする寮の名称である。

 受刑者は自治会という縦割り社会の中で生活をするのだが、そこには絶対的な『序列』があり、その序列で生活が成り立っている。
 しかし人は、人の上に立ったり、逆らわないと分かっている人に対して、強く出る奴がいる。それは一般社会でも同じ事だと思う。
ましてここは罪を犯した者ばかり、そういう勘違いをしてる人が何人もいた。

 自治会のトップは自治会長、自治会長だけは、職員さんが選び指名する、職員さんというのは、友愛寮にいる刑務官の事である。
 その下に一班リーダー、二班リーダー、経理班リーダー、新入訓練班リーダーがいて、その下に各自治委員、一級生、二級生、新入生と続く。上からの注意、指導、言い方を変えれば命令なのだが、返事は全て「ハイ」である。
 例えば「えっ?」とか「いや、それは…」とか、普通の会話なら、何気に出てくる言葉だが、絶対に口走ってはいけない。返事は全て「ハイ」である。
 
 私達四人は新入生としての生活が始まった。新入生としての期間は三週間、その後自動的に二級生になる。そして一か月後には、また新入生が来る。
  一ヶ月早く来ているはずの、訓練の時の先輩四人のうち、すでに三人は松山刑務所に戻されていた。辞退ではなく、トラブルらしかった。
 松山刑務所の事をここでは本所と呼ぶ。

 自治会には『預かり』という制度がある。
新入生には一人に一人、一級生が預かりという役割でつき、寮内での生活を教育していく。教育係である。
 新入生がへまをする、例えば声が小さい、姿勢が悪い等々があると、自治委員や各班リーダーは、私達新入生を怒るのではなく、預かりの一級生を怒るのである。それもかなりの勢いで。一級生が怒られている間
新入生はその横で『気を付け』の姿勢で、立っているだけである。
 その後で預かりの一級生に怒られるのである。

 どんな人が預かりにつくのか、それによっても、今後の友愛寮での生活も左右されるのではないかと、私は後々思った。
 というのも幸運な事に、私についてくれた預かりの人は、穏やかな人で、もちろん怒鳴りもするが、それはルールに基づいたもので、形式的なものではないかと感じていた。年齢は私より三歳年上のMさん、大井ではMさんも私も年配の部類に入る。
 他の三人の預かりの中には、意地悪い人、理不尽に威張っている人がいたが、Mさんは、ここでの生活を演じている様に思えた。
『演じる』、そう思ったら、ほんのわずかだが気が楽になり、ここでの生活は、いけそうな気がしていた。
 しかしここも刑務所、罪を犯した者の集まりである。序列を利用して弱い立場の人に理不尽に強くでる者も多い。

 『ガチル』『ガチられる』友愛寮では、怒鳴る、怒鳴られる事を、そう表現する。
「オラァオラァー!ヤル気あんのかぁ!」「本所に帰るかぁ!」
「はいっ!すませんでした!」「はいっ!すませんでした!」
そんな怒鳴り声と、新入生二級生、いわゆる下期生の謝る声が
常に寮内を賑わしていた。


拙い文章を読んで頂きありがとうございました。
この文章は十年以上前の私の受刑生活を基に書いていますが、
私以外の受刑者の事や、季節等々は変えて書いているフィクションです。
よろしくお願いいたします。

拙い文章ですが、サポートしていただけたら幸いです。