見出し画像

塀のない刑務所(大井造船作業場)④

「手錠 腰縄 飛行機」

 明日の移送の事を考えると憂鬱だった。手錠、腰縄で電車に乗るのかと、想像しただけで憂鬱だった。
 しかし予想外、なんと移送手段は飛行機だった。
 その日の朝は早く、朝食も通常より早く済ませ、他の人達の工場出役よりも早く舎房を出た。
 私の荷物はカバンがひとつだけ、機内にも楽に持ち込める小さなカバンである。
 私の所為で愛媛まで出張する事になった刑務官二人と、手錠腰縄の私は、ワゴン車に乗り込み空港に向かった。
 車内のガラス窓はカーテンで閉ざされ、外を見る事は出来なかったが、刑務官の一人が、私の側のカーテンを十センチ程、無言で開けてくれた。私も無言で頭を下げた。久しぶりの外の景色だった。
 見覚えのある建物、看板、そして道行く人々。信号待ちで止まった隣の車には、建築現場にでも向かっているのだろうか、作業着姿の男性がタバコを吸いながらハンドルを握っていた。信号が変わると同時に私が乗っているワゴン車を置き去りにして走り去った。
 そんな何でもない光景が、遠い世界の様に見えた。
 映画のワンシーンの様に『五年後』などとテロップが映しだされて、一瞬にして時が過ぎてくれないかだろうか、そんな事を思いながら、ずっと外を見ていた。

 ワゴン車は、空港の駐車場でもなく、出発ロビー前でもなく、見た事のないフェンス沿いの門をくぐり、飛行機の数十メートル付近で止まった。私と刑務官二人を降ろしたワゴン車は、すぐに走り去った。
 刑務官と空港職員が何やら話していたが、私は手錠と腰縄が気になりながらもどうしようもなく、目線を滑走路の方に向けてただ立っていた。
その場所は一般客が立ち入る場所ではなさそうだったので安心ではあった。
 飛行機にタラップが架けられ、私達は搭乗カウンターを通らず、金属探知機のゲートもくぐらず、CAの案内で一番後ろの三人掛けの席についた。
もちろん私が真ん中である。一番乗りの搭乗だった。
 間もなく一般客の搭乗が始まると、機内の空気は一気に旅行モードに切り替わった。
 私達の前の席の乗客が、荷物を頭上の収納棚にしまう際私達を見た。手錠は見えない様にしているが、異様な何かを感じた様に見えたのは、私の考え過ぎだろうか。
 通路を挟んだ、反対側の男性とも目が合ってしまった。私はすぐに目をそらし、座席のポケットに入っているパンフレットを取り出して見てるふりをした。
 シートベルトのサインが消えると、飲み物のサービスがあった。
綺麗なCAさんが私にも何になさいますか、と聞いてきたので、私は悲しい習性になっているのか、刑務官を見た。刑務官は小さく頷いた。なんせ刑務所の工場では、いちいち許可を取らなければ一歩も動けないのである、それが体に染みついてる気がして悲しくなった。
 私はホットコーヒーをお願いした。久しぶりのコーヒーだった。これが刑務所での最初で最後のコーヒーだろうなと思った。苦くて甘くて香りが最高だった。しばらくして刑務官が、おかわりを頼んでくれた。
 CAさんが近くを通るたび、チラッと見てしまう自分がいた。生身の女性を見るのも久しぶりだった。自分で自分を情けないと思いながらも見てしまう自分がいた。

 「この先自分はどうなるのだろう?」と考えたり「飛行機が墜落して自分だけ死ねたらいいのに」などとバカな事を考えたり「子供達は私のせいで 虐められていないだろうか」などと考えていたら、約一時間の空の旅は終り飛行機は愛媛県の松山空港に着陸した。
 一般客が収納棚から手荷物を降ろし全員が機内から降りた後で、私達は飛行機を後にした。出発時のタラップとは違い、ターミナルビルに繋がるボーディングブリッジを通り、荷物受取所のベルトコンベアーからの荷物を待つ
人混みを通り抜け、一切立ち止まる事なく空港を出ると、松山刑務所からのワゴン車が待っていた。
 空港から無言で重苦しく、外の景色を見る事も出来ない三十分程のドライブで、松山刑務所の高い塀の鉄の門をくぐり、私は現実に引き戻された。
同行してくれた二人の刑務官とはワゴン車を降りた場所でお別れだった。

 私は新入の調べ室に直行だった。
 一年半前のデジャブの様な荷物検査と、屈辱的な全裸四つん這いの身体検査を受けながら、ここの刑務官は昨日までいた刑務所の刑務官よりも、さらに威圧的に感じられた。
 その日は独居房に入れられ、明日転房と考査工場に入る旨を伝えられた。
 考査工場とは、一般社会でいう所の新入研修といった所だろうか。
 しかし研修の夢と希望に満ち溢れたものとは程遠く、考査工場は犯罪者の末路の入り口にすぎない。
 考査工場から始まるのかと思うと、落胆の気持ちは大きかった。
すぐに大井に行く為の訓練に入るのかと思っていたが、
どうやらそうではないらしい。

  拙い文章を読んでいただきありがとうございました。
  この文章は十年以上前の私の受刑生活を書いていますが、
  私以外の受刑者の事や、季節や月等々は多少変えています。
  すいません。
 


 

拙い文章ですが、サポートしていただけたら幸いです。