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◆読書日記.《カール・グスタフ・ユング『空飛ぶ円盤』》

※本稿は某SNSに2019年12月1日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。

 カール・グスタフ・ユング『空飛ぶ円盤』読了。

ユング『空飛ぶ円盤』

 ご存知心理学の巨人・ユングのUFO論ですよ♪

 このあいだコリン・ウィルソンの『オカルト』買ってきたのがきっかけで、久しぶりに何かオカルト本が読みたいな~と思って手にしたのがこれ。
 しかし、本書はオカルト本ではなく、れっきとした超真面目な心理学の本でした。

◆◆◆

 昔、この本を初めて知ったのは筋肉少女帯の大槻ケンヂさんのエッセイで取り上げられていたのを読んだからで、学生時代に古本屋で見かけたときは即購入したものだった。

 大槻さんは本書でのUFOの取り上げられ方について「空に浮かぶ巨大男根のイメージが凄い」みたいに紹介してたのが印象的だった。

 だが、先程も言ったように本書は本格的なユング心理学の本なので、生半可な「オカルト本」だと思って読むと痛い目を見る。
 最低限ユング心理学の基本的な知識は抑えておかないとかなりてこずるのではなかろうか。

 ぼくも心理学の本やユング派心理学者の本などは読んでいたが、ユングを読むのはこれが初めてだったので、このかなり様々な含みを持たせた文体は読みづらかった。

 ユングはUFOに関してはかなり興味津々だったらしく「そもそもの初めから私は、UFOの報告を象徴に関わる風説として興味を持っていた。そして1947年以降、手に入る限りのUFO関係の刊行物を集めてきた」とまで書いているほどだった。

 ユングがUFOに興味を持ったのはオカルト趣味的な視点からではなく、あくまで「象徴に関わる風説」という観点からだった。

 ユングはあくまで心理学者であるから、この現象を心理現象として分析することに興味を持っていたのである。

「UFO現象と心理学的・心的諸条件は明らかな類似性がある」とユングは言う。

 ユングがUFO現象を「象徴に関わる風説」と称しているのは、この空飛ぶ円盤に関わる風説をある種の「都市伝説」のようなものとして見ていたからだと言えるだろう。
 そう考えるとユングが現代に生きていれば一生懸命都市伝説に関わる資料を集めて心理学的な分析を行っていたかもしれない。

 ユング派心理学者の得意とする分析は、伝説や神話、民話、風説といった「人々の間に語り継がれている荒唐無稽な物語」の心理分析だ。
 ユング派心理学には、心理学的なメカニズムから伝説や民話と言った物語が作り出されるロジックというものがあるという考え方を持っているのだ。

 例えば、ユング思想の中では、文化人類学の言う類感呪術的なアナロジー思考を、集合無意識の行為として解釈している点が見られる。

 世界各地に根本が似たような考え方の習俗が散らばっているのも、世界各地の神話や民話に類似性が見られるのも、ユングにとっては集合無意識のアーキタイプとして説明する事ができる。

 本書の記述の中の「漠然と感じたことや不完全にしか理解できないものを、それによく似た本能的な、つまり習慣的な表象形態に置き換える」という説明も人間の無意識の象徴化作用をユングなりに説明したものだ。

 人間は「理解できない」「漠然としていて判然としない」という不安定な状況にストレスを感じるものだ。
 人間は普段、本能的な欲望を理性によって抑圧しているのだが、理性によっても抑圧しきれない情動は「神経症」という形になって表に現れたり、象徴化作用によって「夢」という形で意識に現れる。

 それは「本能的な、つまり習慣的な表象形態に置き換える」ことによって、情動のストレートな表出ではなく、「象徴」と言う加工された形で現れるのだ。

 ユング派心理学者の河合隼雄も言っていたが、民話や神話というものは、しばしば夢と似たような不合理なストーリーが与えられており、また夢や空想に現れる様々に典型的なイメージも、神話や民話などに似たようなイメージが良く見られるのだそうだ。
 このような夢と神話に類似性があるのは、精神分析の立場から言えば両者が同じように無意識の象徴化作用という、人間の抑圧された本能の噴出という形式を持っているからだと言えるだろう。

 人間は意識や理性のみによって生きているわけではない。
 無意識に押し込められた本能的な情動というものがあって、そのバランスを取らねばならない。
 そのバランスが崩れると、無意識的なものが意識に噴出する。

 例えば、「知らない」「分からない」という未知のものへの不安への抵抗というものも、無意識によって「夢」や「神話」あるいは「幻視」や「幻聴」のような形を持って人間の表側の意識に浮かび上がってくる。

 このような未知の不安に対する無意識の補償というものは、フロイトが分かり易い例として「子供の夢の話」の事例を挙げている。
 アイスが食べたいのにその日食べられなかった子供が、夜の夢の中で食べたかったアイスを食べて充足するというものだ。

 大人の夢の場合は、意識や理性によって否定された欲望が無意識に押し込められるので、もっと象徴化した形で現れる事となる。

 民話や神話も夢と同じような「抑圧とその暗なる解消」という似たような形式を持つので、ユング派はしばしば昔話や神話の精神分析を行うし、それが可能だと考えられているのである。

 さて、前置きが長くなったが、これと同じロジックでユングは「UFO現象という風説」を心理学的に解釈できると考えたわけだ。

 ユングは空飛ぶ円盤を見る人々の心理を「ある種の無意識の噴出を上空に浮かぶ光球へ投影している」と見た。

 ユングはUFOを「幻視」と見る。その幻視に何かしらの無意識的なものが投影されているというのだ。

「空を飛ぶ円状の光る物体」というのは、昔から絵画や風説や人の夢などに出て来ると言う。

 これをユングは本書で「噂としてのUFO」「夢に現れたUFO」「絵画におけるUFO」「UFO現象の歴史」と章立てて、それぞれの事例を心理学的に分析していくのである。

「空中の光る円」というのは、様々な象徴物として人々の前に現れてきたのだ。

「空中の光る円」というのはそもそも「太陽」と「月」のことだし、「天から来るもの」というものはたいていの場合、天使や神の使いとして「聖性」を帯びる。
 つまり、この幻視は「神体顕現」というアーキタイプを持っているのだ。

 そのために、この手の「空中の光る円=神体顕現」という幻視のタイプというのは昔から様々なフィクションや夢や幻想の世界に登場した。

 現代に目撃されるこの手の幻視のアーキタイプが「宇宙人の乗り物」だという噂を引き出したというのも、現代的な意識が反映されたものだ。

 これらの噂は「空中の光る円」を霊的なものでなく、宗教的でもなく、あくまで「実体を持った物体」として解釈し、さらに「宇宙人」というSFの要素を入れ込んできた。
 これはユングからしてみると「話はアメリカという"前代未聞"やサイエンス・フィクションが大好きな国から始まっている」と解釈される。

 上記のように、本書では人々の見た「幻視」が、「伝説」や「神話」という形態に変化するロジックが心理学的に解明されている。
 ここら辺のロジックはさすがユングだけあって実にスマートだ。

 本書は斯様にUFOだけでなく人類が「神話」というフィクションを作り出してしまう心理的なメカニズムさえも解明してしまうエキサイティングな論旨を持った論文に仕上がっている。

 ちなみに、「神話」や「民話」という物語は、何故そのほかの雑多な数々の物語を差し置いて、古代から連綿と口承され続けているのだろうか?

 民話や神話といったものには、人々が「残すだけの価値がある」と考えたから残っているのだ。

 では何故、これらのような人間の理性的な考え方に反するような、荒唐無稽な多くの物語が残されるべき理由があったのだろうか?

 それが人間の「集合無意識」から起こったアーキタイプだからだと見るのがユング派心理学の考え方のひとつでもある。それが文化人類学の類感呪術的思考とも繋がっているのである。


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