見出し画像

◆読書日記.《岡本綺堂『玉藻の前』》

※本稿は某SNSに2021年11月2日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。

 岡本綺堂の長編伝奇小説『玉藻の前』読了。

画像1

 玉藻の前と言えば妲己として殷を滅ぼし、日本に移動しては玉藻という美女となって宮中に入り込み、陰陽師・安倍康成に正体を見破られ、逃げた先で殺生石となったあの玉藻である。
 その伝承を大衆小説の巨匠・岡本綺堂がアレンジした長編小説が本書。

<あらすじ>

 烏帽子折りの叔父叔母の元で育てられた美少年・千枝松と、昔、院に仕えていた武士だったが勅勘の身となった父の元に育てられた美少女・藻(みくず)。
 彼らは歳も近く、いつも一緒に遊んでいた幼馴染であった。

 彼女はある夜、行方不明となり、彼女の知り合いと千枝松とで捜索した所、誰も近寄らないと言われる、狐の住む森の奥に鎮座する古墳の元に、髑髏を抱えた格好で横たわっていた。
 ――その日以降、藻は変わってしまった。奇妙な言動が目に付くようになったのだ。

 千枝松は急に病に伏せるようになり、彼が寝込んでいる間に藻は関白殿が公募した和歌に自らの作を献上した事で目を付けられ、召し上げられる事となった。

 千枝松は、自分が病に伏せっている間に藻が全く顔も見せる事なく宮仕えの身になってしまった事にショックを受ける。

 一度宮仕えの身となれば、帰ってくるのは2年か3年か、あるいは一生返ってこないとも限らない。

 絶望した彼は入水して死のうと考えたが、その彼を通りかかったさる陰陽師が救った。

 その陰陽師は天才陰陽博士・安倍晴明の六代が孫の播磨守泰親であった。彼は天文亀朴算術の長として日本国に隠れのない名家だった。

 千枝松は泰親に拾われ、彼の弟子となって陰陽師になるべく修行に励むのであった。

 一方、その才が認められた藻は宮中でその美貌と才能を遺憾なく発揮し周囲の貴族の注目を浴びていた。

 しかし、徐々に宮中の雰囲気は怪しく曇っていくのであった。

 彼女に惚れた貴族と武士が衝突して相次いで死んだ。
 彼女に惚れこんだ関白忠通は人が変わったように周囲に癇癪を起すようになっていた。

 そんな折、京の都で成人した千枝松と、宮中で「玉藻の前」と呼ばれるようになった美女が偶然再会した。――というお話。


<感想>

 伝承のほうのお話は、宮中に入り込んだ美女=白面金毛九尾の狐・玉藻の前の怪異と、それに立ち向かう陰陽師との対決のほうがストーリーのメインといった風合いがあるかもしれないが、本作のメインはあくまで主人公の千枝松と藻=玉藻との恋愛譚である。

 ファム・ファタールとして、男を誘惑して心を蕩かせ破滅に追いやる魔性の女である玉藻の前。
 九尾の狐に憑かれた彼女は現在の千枝松の事をどう思っているのか?

 彼女の敵である陰陽博士・泰親の事を探るために千枝松に接触してきているかのように見えるが、元々の彼女の人格が千枝松に惹かれているようでもある。

 千枝松は千枝松で、一度玉藻の前の魅惑にやられて大病を患い、師匠の泰親に助けられたという経緯があるので、いくら思いを寄せている藻とはいえ、警戒しないではいられない。

 しかし、彼の事を懐かしむ藻を見ると、師匠の事を疑ってしまう気持ちも湧いてきてしまう。自分は玉藻をどう見ればよいのか?

 宮中に死者が出始めるに至って、泰親は祈祷によって玉藻を調伏しようと決める。

 千枝松は泰親の弟子としてその祈祷に参加しなければならない。

 千枝松は、師匠と藻との間で心揺れるのである。千枝松はどうするのか?

 ――こういう所はさすが大衆文学の巨匠・岡本綺堂といった所で、有名な伝承をわずかなアレンジで恋愛メインの恋物語に変えてしまった。

 宮中の貴族を誘惑する手管も面白ければ、法性寺の阿闍梨と対峙してその心を蕩かせるシーンも魅せられる。

 わりとドライな書き方ではあるが、師匠と玉藻との間で揺れ動く千枝松の心情描写も楽しい。何より玉藻の、男を破滅させる蠱惑的な誘惑が、読者をも魅了する。

 サロメでも妲己でも、世紀末芸術で取り上げられるファム・ファタールとは男を破滅させる魔性の女であるにもかかわらず、それでも抗えない魅力を持っている所に男性が惹かれてしまうのである。
 本書ではそんな玉藻の禍々しい妖艶さを遺憾なく描写して秀逸である。
 さては、ぼくも玉藻の艶術にやられたか。

◆◆◆

 ちなみに、ぼくが今回読んだ岡本綺堂『玉藻の前』は原書房のハードカヴァー版であったが、今なら中公文庫版のほうが入手しやすいかもしれない。

 しかし、ぼく的にはこの中公文庫版の装画よりも、原書房版のほうが好みである。中公文庫版のこの絵だと、少々「魔性」のニュアンスが強すぎると感じてしまう。

 確かに本作では、明らかに玉藻は「魔性の者」として書かれているが、肝心な部分として「玉藻は千枝松の事をどう思っているのか」という「正体の掴めなさ」という側面も忘れてはならないと思う。

 彼女は果たして「恋する妖怪」であったのか、それとも千枝松の純情さえも裏をかく本物の魔性だったのか。

 その点を、表紙からは伺わせないようにしてもらいたい……というのが、本書を読了したぼくの感想である。

 その点、原書房のほうの装画は、玉藻は単純な線に還元され、扇子で表情を隠しており、彼女の心情の両義的な曖昧さが表れているのが良い。ぼくは原書房のほうのデザインをとる。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?