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◆読書日記.《阿部謹也『西洋中世の罪と罰 亡霊の社会史』》

<2021年11月23日>

 いま読んでいるのはヨーロッパ中世史で有名な阿部謹也の『西洋中世の罪と罰 亡霊の社会史』(弘文堂『叢書 死の文化』シリーズ)なのだが、この本はヨーロッパの「死」と「罪と罰」の観念がキリスト教が定着した中世の前後で変化していて、それがどう変化したのかを説明しているという内容になっていて面白い。

阿部謹也『西洋中世の罪と罰 亡霊の社会史』

 以前ご紹介した網野善彦と阿部謹也の対談集『中世の再発見 市・贈与・宴会』の中で阿部謹也は、ヨーロッパのキリスト教文化というのは日本人でも良く知っているためか、わりと白人世界には昔から広くスタンダードにあった文化だと思われがちだが、実は世界的に見ると特殊な文化だったのではないかと指摘していた。

 つまり、キリスト教が広くヨーロッパに浸透する以前とそれ以後とで、ヨーロッパの多くの文化や観念が変化したのではないか、ヨーロッパ文化の断絶点はその辺りにあるのではないかと言っているのである。

 それ以前のヨーロッパ文化の特徴を、阿部謹也は本書では、北欧は様々なサガで伝えられている死生観で紹介しているし、南欧では古代ローマ文化を例にとって説明している。

 ぼくにとっては北欧の様々なサガや北欧神話というのはあまり馴染みがなかったので、その古代文化の死生観は非常に新鮮で面白いものに思える。

 神々と巨人族との闘いや、オーディンのヴァルハラに戦士の魂を集めて連れて行くヴァルキューレの物語などは、マンガやRPGなんかではお馴染みの話であったが、結局そういったRPGなんかに出てくる神話の要素というのはかなりバラバラの「断片」でしかなくて、それに関わる全体的な思想や観念と言ったものは、マンガやRPGでは理解できないんだなあと痛感させられた。

 オーディンだとかスルトだとかという登場人物やちょっとしたエピソードなんかは知っているのに、その背景にある倫理観だとか死生観だとか世界観だとか宗教観だとかっていう、その当時の人々にあった「観念」というのは、そういうバラバラの断片的情報では窺い知る事はできないのだ。

 キリスト教文化というのは広く世界に広がっているという印象があるので、我々日本人にとっては白人文化としては結構スタンダードなものではないかと思いがちだが、阿部謹也は対談集『中世の再発見』で、むしろ世界的に見ると珍しい考え方を持った文化だったんじゃないかと言っている。

 キリスト教が浸透する以前のヨーロッパ文化を見てみると、他の文化圏でも見られる死生観だとか宗教観だとかいったものが見られて、そういう古代ヨーロッパ文化のほうが世界的なスタンダードに近くて、むしろキリスト教文化が浸透した後の文化のほうが世界的に見て特殊な文化を形成してるんじゃないかと指摘している。

 例えば本書でも、ソーロフ一族の者は死んだら皆山に行くという信仰があったというし、「ニャールのサガ」にも漁に出て死んだ男が「カルドバクスホルンの山の中に入っていき、そこで歓迎されているのが見えたように思った」と言ったように、山が死者の国になっている、という宗教観を持っていたと紹介されている。

 山を聖なるものとして見る文化圏というのはアジアや南米なんかにもみられる事だし、青森の恐山を代表とするように、山が死者の国になっているという考え方は日本でも仏教伝来以前の宗教観として、各地で見られたものだった。

 山は死者の赴く地だという古代日本の宗教観は柳田国男も『先祖の話』の中で紹介している。

 そう考えても、むしろ古代ヨーロッパの宗教観のほうが世界的にもスタンダードな考え方を持っていて、キリスト教文化の宗教観のほうが、世界的に見て特殊な考え方を持っているのではないかという阿部謹也の指摘はなるほど面白い主張だと思える。

 なぜキリスト教文化というのは世界的に見ても特殊なのか。……と言えば、ぼくが思い出すのは種村季弘の『悪魔礼拝』に出てきた説明である。
 中世で流行した「悪魔崇拝」の儀式というのは「アンチ・キリスト教」の儀式となるので、キリスト教の儀式を全て裏返したパロディ的な形式の儀式になる。
 この悪魔礼拝はしばしば古代宗教の儀式に似通った要素がたくさん出て来るのだそうだ。

 それは、キリスト教そのものが「アンチ古代宗教」として発展してきたからというのもあるという。
 キリスト教は古代宗教の民族を改宗させるために異教徒の古代宗教の神々を「悪魔」として追放してきた。そのためにキリスト教は世界各地の古代宗教の儀式や考え方を否定し、逆の価値観を提示したのである。

 だから、キリスト教の考え方というのは世界の古代宗教の考え方を否定し、世界的にも「特殊」と言えるような価値観や宗教観を形成するに至ったのではないか……と考えれば、阿部謹也が指摘する点も納得できるようにも思える。

<2021年11月24日>

 阿部謹也『西洋中世の罪と罰 亡霊の社会史』読了。

阿部謹也『西洋中世の罪と罰 亡霊の社会史』

 著者はヨーロッパ中世史で有名な一橋大学名誉教授。専門はドイツ中世史なのだとか。
 本書はヨーロッパ民衆の罪と罰の観念が中世の前後でどのように変わったのか、またそれと関連して死生観が中世の前後によってどのように変化したのかを説明すると言う内容。

 本書の内容は、上に書いた内容をシンプルに説明していてスキッと明快。ロジックがかっちり通っていて読んでいた心地よかった。

 本書の前半ではアイスランド・サガ等の民間伝承にしばしば出て来る「亡霊」が、民衆とどのような関わり方をしていたのかという点から民衆の死生観を考察している。

 勿論、まだキリスト教が入ってきていない頃の古代ヨーロッパではまだ古代宗教が信仰されていた。そこでは様々な神々が存在し、巨人族と戦い、冥界や神々の世界が存在する世界観を持っていた。

 民衆の間では、冥界は地続きの関係と信じられており(日本の黄泉の国と似たような死生観だ)しばしば亡霊は現世に現れて、生者と取っ組み合いを演じたり、自分の葬式に入ってきたり、生者を病気にかけたりする「元気な死者」であった。

 その当時の伝承に現れる亡者というのは、兄弟仲が悪ければ、死んだ後も兄弟とケンカの続きをしに現れ、村に災いをもたらしてきた悪人は死んだ後も村に様々な害悪をふりまいていた。

 著者の説明によれば、その当時の「死」というものは、民衆にとっては恐怖するべきものというよりかはある種の「移行」だったというのである。

「グレンベックによると、エッダやサガに登場する人々にとっては人間は栄光と名誉のなかで生き、それが確実なものであるかぎり、不死なのであった」のだという。

 また「死者も生者も同じ氏族のなかで生きていた。生者も死者も氏族の感情を感じ、氏族の名誉を感じ取り、氏族の意志を自分の意志とし、自分自身が氏族の身体なのである」のだそうだ。

 つまり、古代ヨーロッパのサガの伝承に出て来る民衆というのは、我々日本人のようにアイデンティティが共同体と溶け合っていたのである。

 このような民衆の死生観が変化したのは、キリスト教によって「個」の考え方を植え付けらてからなのだという。

 民衆に強制されたキリスト教のシステムによって、自らの罪を司祭に告解する事で「罪」は共同体との関係性から切り離され、「個人と神」との関係――嘘偽りない「個」の問題にされたのである。

 古代の死者は、共同体との関係性に基づいて生者のテリトリに現れては生者とトラブルを起こしたり様々な関わりを持った。

 だが、キリスト教が入ってきてからの「死者」は、もう共同体に対してどのような関係があったから蘇ったり、生者に迷惑をかけたりという事をしなくなってしまう。

 そもそもキリスト教に「亡霊」という考え方がない。
 人間は死後、生前の善行・悪行を清算して天国か地獄に行く事となっている。その行先は共同体との関係性によるのではなく、個人の罪と信仰によって振り分けられる――つまりは「個人」がどうしたかが問題になるのである。

 しかし、民衆にまだ古代宗教の信仰心が残っている状態のまま、キリスト教の教義をムリヤリ押し付ける事はできなかったらしい。

 亡霊などは存在しない――などと言われても、民衆の中には実際に亡霊に会って会話したと主張する者もいるし、死者から物事を頼まれたり助言を受けて問題を解決したりという者もいた。

「民衆の間には何故亡霊が現れるのか?」という問題に教会はキリスト教の教義に矛盾しない様々な見解を示してきた。
 例えばテルトゥリアヌスは「亡霊が現れる」と称する現象の背後にはデーモンや悪魔の力が働いていると説いた。アウグスティヌスは「良い天使と悪い天使の働き」について述べたという。

 キリスト教信仰では、人間の死後は天国か地獄に行く事となって、地獄に落ちた者は時の終末までそこにとどまる事になるかるから、救いはないという事になる。

 ならば、なぜ人は死者に対して祈りをささげるのであろうか。こういった考え方から中世には天国と地獄の中間地帯である「煉獄」という場所が成立し始める。

 地獄に直行する極悪人や無信仰者や、天国に直行する聖人の「あいだ」に存在する「不完全な善人と不完全な悪人」が、この中間地帯である煉獄に行き、ここで罪を清められれば天国に入る事ができる。
 キリスト教の説話の中に出て来る「亡霊」の類は、どうやらこの「煉獄」にいる死者なのだそうである。

『黄金伝説』などに出て来る亡霊は煉獄の中にあって苦しみを受けている状態であって、この世に出て来る時は生者に対して、生前の自分の罪を清算してほしいだとか、自分のために祈ってほしいなどと生者に弱弱しくお願いする「弱い死者」だという。
 これがキリスト教に出て来る亡霊であり、死者のイメージとなった。

 つまり、ヨーロッパの「亡霊」のイメージは、中世の前後で「生者と対等に渡り合う強い死者」から、「弱弱しく生者に希う弱い死者」に変化したのである。

 死や死者に対する恐怖や恐れというのは、キリスト教の浸透の前後でこのようなイメージ変換による影響があったのではないかというのが著者の主張なのである。

 キリスト教権力による民衆の教化というものは、本書の特に後半を読むと国家ぐるみで非常に強いシステムを形成しており、どこかそれは日本の明治維新以降の西洋文化への大転換を思わせるようなラディカルな変化であったと言えるだろう。


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