◆レビュー.《ルイス・ブニュエル監督の映画『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』》
※本稿は某SNSに2019年4月1日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。
今回はルイス・ブニュエル監督の不条理映画『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』を見ました!
《あらすじ》
本作は6人の上流階級の男女が主人公となっている。
ある夜、上流階級のいつもの仲間たちが、セネシャル夫妻に招かれてその家に訪問した所から物語は始まる。
応対に出てきたセネシャル夫人は何故か普段着のままで、主人は出かけていると言った。何故かというと「会食の予定は、明日のはずですよ」とのこと。
セネシャル夫人は、予定は明日だと思っていたので、その晩の食事は用意していなかった。
どうも釈然としないものがあったが、仕方ないので一行はレストランで夕飯を取ることにする。幸い、一人が近くに美味いレストランがある事を知っていたので、そこまで移動することに。
車でレストランに乗り付けてみると、店が何だか薄暗いことに気が付く。
店の給士に何があったか尋ねると、つい先ほど店主が亡くなったばかりだと言う。でも通常営業はしていて食事も出来るので、是非食事をしていって下さいと勧められるので、店内に入る一行。
さて何を食べようかとメニューを眺めていると、ふと店の奥から何者かのすすり泣きする声が聞こえてくる。
何事かと店の奥の部屋を覗いてみると、そこでは今まさに店長の遺骸を囲んで店員らが葬式を行っている真っ最中だった。
すっかり気分を害した彼らは、その日の夕食は諦め、また改めて別の日に集まって晩餐会を開こうとするのだが……。
《感想》
【注】以下の感想は本作のネタバレも含んでいます。
※但し、本作はネタバレされて直ちに面白味がなくなるタイプの映画ではありません。そういう事情を踏まえて、以下お読みいただけますと幸いです。
さて、本作ではあらすじで説明したような形で、ギリギリありえそうでありえなさそうな、どこか妙なエピソードがこの後も繰り返される事となる。
彼らが食事やパーティを行おうとすると、必ず何らかのトラブルが発生するのだ。
一回や二回なら偶然の不幸だとも言えるかもしれない。だが、本作のトラブルは何度も繰り返し発生するからこそ段々とその不条理さが増していくことになる。
本作の奇妙なエピソードは、物語が後半になるにしたがって露骨に「異様さ」が増してくる。あのサルヴァドール・ダリと組んで制作した『アンダルシアの犬』を思わせるほどのシュルレアリスティックな場面まで出て来るほどだ。
だが、明らかに非現実的な出来事が起こると、後にそれは夢だったと分かり、そこで作品世界の現実性はいったん回復する。
続けてこの奇妙な事態は、不自然なほど繰り返し発生する。
そして、奇妙な事態が「非現実的」な閾値を越えると、またそれが誰かの夢だったと分かる。
物語は夢と現実が入れ子状態になり、その境界線が段々と曖昧になっていきながらも、連続して発生する奇妙な事態に翻弄されるブルジョワたちを描写しながら進んでいく。
このように次々に現れる、つながりがありそうでなさそうな奇妙なエピソードの数々によって、けっきょく何が描かれているのかと言うと、会食や立食パーティ、高級喫茶での優雅なティー・タイム、不倫や情事といった、上流階級の間で行われるあらゆる「愉しみ」が、途中で必ず邪魔が入って台無しになってしまう、というパターンの様々なバリエーションなのである。
主人公である6人の男女は、上流階級ならではの愉しみを享受できず、愉しみの直前で何度も何度もぶざまに「おあずけ」を食らわされるのである。
特権を持つ彼らが、仲間内だけでのその秘かな愉しみを享受しようとすると、必ず寸止めを食らわされるような、あらゆる種類のトラブルが発生する。
ブニュエルはこの作品で、そんなセレブな連中へ過激なイジワルをして楽しんでいるかのように見える。
本作は、風刺と言えば風刺なのだろう。
鼻持ちならないブルジョワたちが、舌なめずりして愉しみにしていたものを、享受する前に毎回トラブルに巻き込まれ、台無しになってしまう様を、庶民的な視点で見て大いに笑えばいい。
ブニュエルの製作意図にはおそらく、そういうサディスティックなものが少なからず入っているのだから、本作もおそらく、そういう上流階級に対するサディスティックな愉しみを享受すればいいのである。
だがしかし、本作はラストどうなるかと言うと、何とも不可思議なアンチ・クライマックスを迎える事になる。
「何だこりゃ?」というような、ラストはどうなるのか期待していた観客の意識を宙吊りにするような終わり方をするのである。消化不良なのだ。
ここで「もしかしたら――」と、ぼくが思ったのは、ルイス・ブニュエルは作中のブルジョワたちだけでなく、そのブルジョワたちの滑稽な姿を見て笑うわれわれ観客たちに対してさえも「おあずけ」を食らわせているのではないだろうか。
ブニュエルは「上流階級の滑稽な風刺劇を見て笑う」と言う、庶民的なわれわれの愉しみさえも、享受しきることを邪魔し、未完結なまま「おあずけ」させたのではないだろうか。
この作品はルイス・ブニュエルによる、全方向に対する皮肉なイジワルだったのではないか、そういう風にも思えるのだ。
どこまで人を食ったような事をするのだろう、ルイス・ブニュエル!
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?