◆読書日記.《モーリス・ルブラン『奇巌城』》
※本稿は某SNSに2022年4月15日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。
モーリス・ルブラン『奇巌城』読了。
「アルセーヌ・ルパン」シリーズ中、随一の名作にしてルブランの代表作と呼ばれる長編ミステリ。
先日読んだホームズものの『緋色の研究』に続いて19世紀ミステリの古典を改めて再読しようと手に取ったもの。
『緋色の研究』よりも面白かったが、ややハリウッド的なエンタテイメント。
<あらすじ>
ある夜、ジェーヴル伯爵の屋敷に何者かが忍び込んだ。
それは複数人いたようで、忍び込んだ所をジェーヴル伯とその秘書のダヴァルと格闘になる。ジェーヴル伯は気絶し、ダヴァルは殺害されていた。
伯爵の娘のスュザーヌと姪のレーモンドが、何かを担いで逃げる何人かの影を目撃。
レーモンドは犯人グループの内の一人を銃で狙撃、犯人の一人は負傷するも最終的に逃げられてしまった。
翌日、伯爵家に警察が押しかけて捜査を開始する。
犯人グループは何かを担いで逃げて行ったはずだが、伯爵によれば屋敷の中のものは何も無くなっていないという。犯人グループの行方も用として知れない。
この事件に高校生の素人探偵イジドール・ボートルレが立ち上がる。
彼は新聞記者に変装して事件現場に押しかけ、独自の捜査を展開する。
「この壁にかかっている四枚のルーベンスは、偽物なのです!」――犯人グループはルーベンスの本物を、贋作にすり替えて盗み出していたのだった。
その上でこの高校生探偵は指摘する。「この事件の首謀者はリュパンだ」と。
イジドールは次々に推理を展開し、警察とは違った独自の捜査を続けてリュパンを追い詰めようと躍起になる。
また、それ以外にもリュパンを長年追い続けるガニマール警部やイギリスの名探偵シャーロック・ホームズもリュパンを追い始めていた。
しかし、彼らは後に思い知らされる事となる。リュパンが彼らよりも一枚も二枚も上手の役者であった事を。
リュパンはもっと大きな陰謀を企てていたのである……やがて事件はフランス王家に伝わる財宝にまつわる壮大な冒険譚に発展していくのだった……と言うお話。
<感想>
今回も基本的に「世界大戦前の啓蒙時代の古典ミステリを読む」という自分なりの試みの一環として読んだ。
ホームズが純粋に事件の謎を解明する事に焦点を当てたミステリであるのに対して、ルパンシリーズは何かしらの犯罪に関わる謎というよりかはトレジャーハンターものとしての要素のほうが強いのかもしれない。
ルパンシリーズはヒットしはするものの後継者やフォロワーが現れたようすはなく、「義賊ものミステリ」という方向性はジャンルとしては成立しなかった。
後のミステリの発展から見てみても、ミステリと言えば基本的にはホームズシリーズのように、主に殺人事件などの犯罪の謎を解き明かす事に興味の中心を置くものが中心となっていった。
本作を読んでみても、やはり「推理小説」と言うよりかは「冒険小説」の要素のほうが強いかもしれない。
確かに、少年探偵が出てきて冒頭に出てきた殺人事件と盗難事件の謎を推理するくだりは出てくるのだが、実の所これは本作の「本筋」ではないのである。
本作の「本筋」は、ルパンを捕まえるために少年探偵がフランス各地を巡って捜査し、ルパンの落としていった「暗号の書かれた紙」を解いて出てくる単語の地方へと赴き、ある時は変装して街に溶け込み、ある時は古城に進入し、ルパンを追跡しながら大冒険を繰り広げる――という所にある。
こう書くと、やはりこの物語は推理小説の皮を被った冒険小説なのだと思える。
例えば本作にはシャーロック・ホームズが出てくるのだが(当初コナン・ドイルに無断で登場させたが、ドイルから文句を言われた事もあり、ルパンシリーズではアナグラムを用いた変名「エルロック・ショルメ」が用いられているそうだ)彼も推理はせずに「ルパンの宿敵」として最後に決闘を行うのである。
本書のメインの謎となるのは、フランス王家に伝わる財宝の隠し場所を示した暗号の解読となるのだが、それ以外は基本的に「財宝探し」「逃走劇」「宿敵との決闘」となるのである。
これに更にルパンの恋物語までプロットに入ってくる所が、冒頭にも言った通り「ハリウッド的エンタテイメント」と思った点である。間断なく続くアクションとサスペンス、そして幕間に挟まれる恋愛物語、ラストに待ち受ける宿命のライバルとの一騎打ち。
ホームズもので流行った「探偵小説」というものは、『緋色の研究』のレビューでも言った通り「肉体ではなく、頭脳を使って活躍するヒーロー譚」である所が、産業革命が成熟し、啓蒙思想が隆盛していた時代の新しいヒーロー像であったと思う。
その『緋色の研究』がやや「前時代的」という指摘があるのは、純粋な推理小説としての物語ではなく、「前半の推理小説」プラス「後半の冒険小説」という合わせ技として、後半の「肉体派主人公」という伝統的ヒーロー像の影を引きずっていた面があるためだろう。
この前半と後半の見どころの差が『緋色の研究』という作品をややぎくしゃくしたものにさせているのが欠点でもあった。
その点、本作『奇巌城』は冒険小説的な要素と推理小説的な要素を融合させていて洗練されているとさえ言える作品に仕上がっている点、エンタテイメントとしてはこちらのほうが品質が良いのではないかとも思える。
しかしその分、『緋色の研究』に比べて「推理」の要素が弱く、やや荒唐無稽な部分も見られる。
ホームズのように自分の推理方法についてあれこれと方法論を語り、捜査法に「科学」の重要性を示唆し、「"探偵として"の推理能力の凄さ」を強調する物語となっている点、『緋色の研究』の前半部分は間違いなく「推理小説」なのである。
だが、そう考えると『奇巌城』の少年探偵の推理法は「足で地道に捜査してひたすら考える」くらいなものである。
つまり、ミステリとしての名探偵の推理の方法論については、これといって特徴がないのだ。
しかし「足で稼いで捜査する」事がメインになっているからこそ、本書の舞台は次々にフランス各地へと移って行く大冒険小説となりえた。それが本作を推理小説と冒険小説を巧く融合させた作品に仕上げる一つの手法となっているのだ。
だが、本作の探偵面での主役である少年探偵は脚で稼ぐ肉体派であり、ルパンも肉体派の冒険を好む大泥棒である。
上述した様に、啓蒙主義的な趣味を眼目に持つ推理小説というジャンルとしては、本作はいささか「冒険小説」すぎる……当時の読者からは、そう思われたのではなかろうか。
『奇巌城』は、エンタテイメントとしては、おそらく『緋色の研究』を超えて高度に冒険小説的な要素と推理小説的な要素を融合させレベルの高い活劇となっている。
だが、新しき啓蒙主義の時代の新しき頭脳派ヒーロー像を提示するホームズものから比べれば、「推理小説」としての完成度は一歩劣り、まだまだ古い時代の肉体派英雄譚の影響を強く引きずっていると言わざるを得ない。ルパンはまだ「古さ」を引きずってしまっていたのだ……
そういった所が、ルパンシリーズが大ヒット作となりながらも、後の後継者を生まず、「義賊ものミステリ」としてこの傾向のジャンルが成立しなかった事の一因となっているのではないか。
かくて義賊は名探偵に敗れた。怪盗対名探偵の決着は、あらかじめ決まっていたのである。
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