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<本日の一句>2021年8月18日

※本稿は某SNSに2021年8月18日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。

<本日の一句>
マスク外し市販惣菜の西瓜喰ふ


「牛乳よりもスイカのほうが水分が多い。〇か×か?」

 ――答えは〇である。

 子供の頃よく見ていた、80年代のNHKの人気クイズ番組『クイズ面白ゼミナール』でやっていたクイズで、唯一覚えている問題がこれだった。

 なかなか意外性があって面白い問題だと気に入っていて、未だに時々思い出す。クイズの中ではけっこうな名作だったのではないだろうか。

◆◆◆

 さて、ぼくの中では、少年時代の夏と言えば家族でスイカを食べるのが毎年の恒例行事のようなものだったという記憶がある。
 友達の家に遊びに行っても、夏はけっこうな確率でスイカが出てきた。

 『ドリフの大爆笑』なんかを見ても、夏になると必ず志村けんがスイカを高速喰いして笑いをとっているのが毎年の風物詩的なコントだったと思う。

 しかし、大人になってからというもの、もう何年も何年もスイカを食べた記憶がない。

 だから、ぼく的にはどうもあのサッカーボール大の丸々としたスイカというのは、「子供の頃の良き思い出」的なものになってしまっている。

スイカ

 だが、別にスイカは「絶滅寸前季語」でも何でもない。現代でも、今から食おうと思えばいつでも食う事はできるだろう。

 恐らく、スイカというヤツは家族で食べるものであって、一人暮らしの男性が食べるものではないのだ。

 だいたい、あれを一人で食うには少々デカすぎるというものだ。

 昔のように、あのサッカーボール大の丸々とした奴を買ってきたら、最後まで食い尽くすのには相当時間をかけなければならないはずだ。

 冷蔵庫の場所もとる。
 一人暮らしの家にある小さな冷蔵庫なんかに、あのデカブツを入れられる余裕などありはしないのだ。

 タネも大量に出るし、皮も大きいので、これがまた地味に処理に困る。生ゴミが大量に出てしまうのだ。

 そういった事情もろもろが全て、スイカを「家族で食べるもの」にしてしまっているのではないだろうか。

 一人暮らしがスイカを食べるとなると、あの玉のスイカではなく、何者かによって既に切り分けられたものを買ってくるよりない。
 だが、子供の頃に見た、あの丸々と大きいスイカの記憶があると、あれはどうも貧相なものに思えてならない。
 全く、食らいつく気が湧いてこないのである。

 ぼくの中でどこか、あのでっかい収穫物を家族みんなに切って分け与えるという行為も含めて、「スイカと言う名の行事」という感覚が、あったのかもしれない。

 いろいろと譲歩して「食べてもいいかな?」と思えるとしたら、スーパーのお惣菜コーナーなんかに置いてあるカットフルーツのスイカくらいなものだろう。
 プラスチック容器の中に、一口大の大きさに四角くカットされたスイカが入っている、あれである。
 あれであったら、だいぶ「すでに切り分けられてる」感もなく「スイーツ」って感じで食べられるし、タネも皮もそんなに大量に発生しない。

カットフルーツの西瓜

 あれはまさしく、一人暮らしのための、一人きりで食べる、一人ぼっちのためのスイカだとは言えないだろうか?

 つまり、ぼくにとって最近スーパーでよく見かけるあのカットフルーツの市販総菜スイカは、「家族から切り離された一人ぼっちの象徴」のようにも見えるのである。


◆◆◆

 「マスク」は冬の季語だという。なぜ冬なのだろう?

 現代日本では、マスクは花粉症対策にも使うし、コロナ対策のために現在では一年中使わなければならないものになってしまっているのに「冬」に独占させておくというのは、どうにも納得がいかないではないか。

 カットフルーツのスイカのほうも、冬の時期であっても、少々お高くはあるが、温室育ちの奴を一年中食べる事が出来て、必ずしも夏場だけのものとも言えなくなってきた。
 そういった季節ものの食べ物を一年中食べられるようになったのは、便利である反面、いろいろな情緒を失わせている事になっているのかもしれない。

 そう考えると、冬の季語である「マスク」と夏の季語である「西瓜」の両方が混在していながらも、どこか無季的な一句になってしまっている本作は、わりと「季節感が失われた」現代という時代を象徴している一句と言えるのかもしれない。

 このコロナ禍の中、政府から黙食が推奨されている(笑)とおり、この時代「マスクを外してモノを食べる」という状況は、ワイワイガヤガヤと賑やかな状態を意味していない。

 況や、スーパーで買ってきた市販総菜を食べる時においてをや。

 当然、「一人ぼっちのスイカ」であるカットフルーツの惣菜スイカを、一人きりでただ黙々と食べるという状況がイメージされる。

 そういうしんしんと身に染みる孤独感を想定してみたのが、今回の一句である。

 散文的にリズムが崩れた字余りの破調が、余計にスイーツを食べる楽しさを奪っているこの感じも、共感していただけるとありがたい。

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