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◆読書日記.《ルイス・ダートネル『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』》

※本稿は某SNSに2022年9月10日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。


 ルイス・ダートネル『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』読了。

ルイス・ダートネル『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』

 著者はイギリスのレスター大学でイギリス宇宙局で特別研究員を務めており、専門は宇宙生物学(ウィキペディア〔英〕によれば現在はロンドンのウェストミンスター大学に所属してサイエンスコミュンケーションを担当する教授をしているそうだ)。
 その他、人気のサイエンス・ライターとして科学の普及活動にも携わり、新聞や雑誌などの科学記事を執筆し、講演やテレビ出演なども行っているという。

 その著者の最も良く知られている著書(本人のサイトによると「国際的なベストセラー」らしい)が本書であるという。

◆参考:ルイス・ダートネルTwitter
 https://twitter.com/lewis_dartnell
 https://twitter.com/@KnowledgeCiv

◆◆◆

1.《本書は人類大破局後の世界を想定し、科学文明復興のための青写真を描く》

 本書はある種のサバイバル本であり、ある種の科学入門であり、ある種のナレッジ・ディレクトリでもある。
 更に言えば「科学とは何なのか?」という事まで考えさせられる「科学哲学書」でもある。

 本書は次のような言葉で始まりを告げる。

「僕らの知っていた世界は終わりを遂げた」(本書より引用)

 本書はある思考実験から始まるのである。

「特別に強毒型の鳥インフルエンザがついに異種間の障壁を越えて人間の宿主に取りつくことに成功したか、あるいは生物テロ行為で意図的に放出されたのかもしれない。都市の人口密度が高く、大陸をまたぐ空の旅が盛んな現代においては、感染症は破壊力をもってたちまち拡散する。そのため効力のある予防接種を施す間もなく、検疫態勢さえ敷かれる前に地球の人口の大多数を死にいたらしめたのだ」(本書より引用)

 ――ここで仮定されている「人類大破局のシナリオ」は、この現在のコロナ禍を経験しているぼくらにとっては、簡単に「ふーん」と言って読み流せないものがあるのではないだろうか。

 実際には、幸いにもまだ「地球の人口の大多数を死にいたらしめた」という結果までには至っていないものの、いつ終わるとも知れない長い長い感染症に世界中が苦しめられているのは事実だし、著者が想定している「都市の人口密度が高く、大陸をまたぐ空の旅が盛んな現代においては、感染症は破壊力をもってたちまち拡散する」という条件は、実に性格に現在の状況を言い当てているではないか。

 この後も、著者はいくつか別シナリオの「人類大破局のシナリオ」を挙げて見せる。

 インドとパキスタン間の緊張が限界に達し、遂に核兵器が持ち出されるまでに至るだとか、それ以外の国同士の核戦争だとか、もしくは小惑星の衝突など。

 ここで想定されているシナリオは、テレビでも書籍でも盛んに作られている「もし東京直下の大地震が起こったら!?」とか「もし貴方の地域が大洪水に見舞われたら!?」といった災害シミュレーションの「人類版」と言っていいだろう。

 著者が想定しているのは、映画『アイ・アム・レジェンド』のように、地球人口のうちのほとんどが死滅してしまい、貴方はその中で残された数少ない一人であるというものだ。

 周囲を探せば数十人は生き残っているかもしれない。世界的に見れば数百人くらいは生存者が見つかるかもしれない。
 だが、人類は上に挙げた内いずれかの「大破局のシナリオ」によって、そこまで衰退させられてしまったのである。

「僕らの知っていた世界は終わりを遂げた。決定的な問いは、さてどうするか、だ」(本書より引用)

 著者は、万が一この「大破局のシナリオ」で貴方が人類で数少ない生き残りとなった場合、ではどうやって貴方たちがその先を生きてゆき、そして現代のようにある程度の安全が確保された文明を取り戻し、これまでの科学文明を再スタートさせるのか?その知識に辿り着くための様々な科学的方法を提供する。――それが本書の内容なのである。

 この本が「東京直下型大地震のシミュレーション」と決定的に違うのは、「何日、あるいは何か月か先まで生き延びる事が出来れば、他の地方や他国の支援によって徐々に日常は回復してゆく」という事が"期待できない"という事であろう。
 何しろ、本書で想定している「大災害」は日本全国だけでなく、世界全国に渡る規模の大破局なのだから。

 どれだけ待っても他から支援物資も救助隊も現れない。
 これから何世代にもわたって、われわれは人類を生き延びさせる事ができるのか。
 襲い来る飢えと寒さ。衛生状態が悪化し、感染症が蔓延し、生き残った人類も皆すぐに死滅してしまうかもしれない。
 そうならないための希望を、著者は「科学」に求めているわけである。
 もっと言えば、それは生き延びるための「知識」だ。

 しかし、その「知識」はどうやったら手に入るのか?

 例えば、貴方の最寄り駅の近くにある書店を想像してみよう。大破局を迎えて残されたわずかな人類が、何をどうやっていけば生き残っていけるか書いてある本が十分に置いてあるだろうか?
 歴史書や自己啓発、歳時記や写真集、趣味の家庭菜園の本などの中から初歩的な化学の本を見つけたとして、それをどうやって明日の食料を生産するための方法として活用すればいいのか?
「家庭の医療」を見つけたとして、もう薬品メーカーさえ動いていない荒廃した世界の中で、それがどれだけ役立つ知識となってくれるのだろうか?

「生存者が技術社会を素早く復興させるための速攻手引書となる一冊の本を書くことは可能だろうか?」(本書より引用)

 ――本書の狙いは、そのような所にある。

 雨風から身を守るために意服を作り、住居を建て、食料を確保し、医療体制を復活させ、輸送手段や身の回りの生活レベルを上げる。そのための知識が何で、どのようなものなのか。そこに至るまでの基本的な部分を示す。
 本書はそのための、科学文明を再起動させる青写真を描くのである。

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2.《大破局後はどんな事が起こる? どれだけの猶予期間がある?》

 支援物資も救助隊も永久に訪れる事のなくなってしまい、人口わずか数十名にまで減ってしまった時の都市部はどんな風になるだろうか?

 著者は第1章~第2章で、人口が激減した場合の都市部の様子をシミュレーションしてみせる。

 もちろん、アスファルトも鉄筋コンクリートもレンガも木材も、メンテナンスもなく永久にその形を保ったままでいられるとは限らない。

 風雨にさらされ、冬の凍結と融解のプロセスによってアスファルトは徐々に罅ヒビが広がって割れる。コンクリートも放置されればヒビが入り、雨滴の浸入によって内部の鉄筋が錆びて膨張し、コンクリを更に割れさせる。
 風に乗ってきた種子がアスファルトのヒビの間に入り込んで芽吹き、雑草や低木までもが生い茂るようになって更にキズを広げさせる。

 われわれが長い年月かけて作ってきた都市の巨大建築群は、このようなプロセスを持って徐々に荒廃していく。
 著者も言っているが、われわれの住居や集合住宅は一世紀も持てばいいほうなのだ。
 その多くは、100年と待たずに崩壊する。橋も道路も、使い物にならなくなる。

 それだけでない。
 大破局後は消防隊などは組織されていないので何かしらの原因で火事が起こればそれを止める者もなく燃え広がってしまう。
 都市部ではガス管が破裂して燃え移ったり、自動車の中に残っていたガソリンやガソリンスタンドの地下に埋蔵されているガソリンに引火したりして、延々と燃え広がり、広大な地域を焼け野原にしてしまうだろう。
 店員や警備員のいなくなったスーパーから食料品を盗んで食べて生き延びていたとしても、その火事ですぐに都市を追われてしまう事になるかもしれない。

 もっと危険な想定をするならば、日本全国にある原子炉が安全に停止し、大きな事故を起こす事もなく朽ち果てていくだろうか?……という点である。
 加えて地震や台風も多い日本の条件を考えれば、都市の荒廃も他国より早く、日本での生き残りの運命はかなり過酷になるのかもしれない。

 生き残った人類は、このような事態に備え、都市部から自分たちに当分の間必要な食糧や資材を運び出さなければならないかもしれない。

 更に言えば、都市に残っていた食料は、残念ながら「賞味期限」がある。
 当然ながら「賞味期限100年」という荒唐無稽な食糧はスーパーには売られていない。

 つまりは、数十年もしないうちに既にスーパーやコンビニ等に並んでいる食料品は食べられなくなってしまう。
 その前に、大破局を生き延びた人々は何らかの食料を生産する手段を作り上げなければならない。

 お分かりだろうか? 人がいなくなった都市部というのは、余命宣告を受けているのである。

 自分一人だけだったら良いだろうが、自分の子の世代、孫の世代までわれわれ人類を延命させるには、いつまでも都市部に残って文明の遺産を消費していれば良いというものではない。

 メンテナンスの機会を失くした都市は、徐々に、だが確実に荒廃していくのだ。

 そして、都市部では巨大な施設やビルディングが次々に倒壊していき、大火災が発生し、厳重に保管されていた様々な危険な物質や有毒な物質が漏れ出て残った人類に襲い掛かってくるだろう。

 このような危険があるからこそ、著者は「猶予期間」の間に、必要になる物資(火や衣服、保存食、医薬品、等々……詳細な情報はぜひ本書を参照しよう!)を調達して都市部を離れる事を推奨しているのである。
 身の安全や水・食料が確保できる避難場所を確保した後、完全に都市が崩壊するまでに、安全な場所から幾たびか物資調達隊を派遣すれば良い。

 このように都市の荒廃プロセスを見て行くと、われわれの文明と言うのも儚いものだと思わずにはいられない。
 鉄筋コンクリートやアスファルトなど、耐久性や利便性を考えれば都市部の建造物の建材は理想的なものなのかもしれないが、それはあくまで建て替えやメンテナンスを含めて考えての事。100年も200年も耐久出来る建造物などないのだ。

 その上、電気供給が停止してしまえば、その機能は麻痺してしまう。
 流通が止まってしまえば、都市の人々は一週間と持たずに食料も水も確保できなくなるのではないだろうか。

 都市部は現代消費文化をありありと象徴していて、エネルギーにしても水にしても食料にしても、巨大な物資を延々と消費しなければ維持できないものだったのだ。
 われわれの高度な科学文明は、そういう腹を空かせた巨大な都市部に毎日のように膨大な物資とエネルギーを注ぎ込む事を可能にするために発展してきたという事もあるのかもしれない。

 そう考えれば、もし大破局を生き残った人類が数十人規模の少人数だった場合、とても彼らに「都市」という巨人を制御する力はないだろう。著者が大破局後は都市を離れるべきだと主張しているのも納得できなくもない。

◆◆◆

3.《では具体的にどんな知識やノウハウが必要なのか?》

 本書のメインコンテンツは何と言っても、大破局後の世界で科学文明を再スタートさせるための、具体的な科学知識の数々の説明にあると言って良いだろう。

 都市部を離れ、残された数々のテクノロジーの遺品さえも故障し、交換部品も底をつき、医薬品も保存食も入手できなくなってしまったら?

 この危機に対処し、更にはなるべく現代に近い科学文明を再興するための期間を短縮するために必要となる基本的な知識を、本書では3章から13章にかけてじっくりと解説している。

 まずは生存した人類が安定して生き残っていけるための食糧の生産方法と水、衣服、建築材料、エネルギー、必須の医療や医薬品などを確保し生活を安定させるための方法を考察している。

 この辺りの科学の説明は非常に具体的で面白く、本書の副題は「具体的な想定ケースに対処することで学ぶ科学技術入門」としても良いのではないかとさえ思ったほどである。

 また、これらの知識は基礎的ならが、原始的な環境の中から現代の科学知識によって生活必需品を生産していく方法を模索していくため、これを応用すればロビンソン・クルーソーのように無人島に漂流した後の生活に役立てたり、あるいは飛行機事故などでジャングルや山間部など人里離れた地域に投げ出された場合のサバイバル方法にも応用できるかもしれない。
 あるいは死後ファンタジー異世界に転生した場合に現代知識で無双したいという状況を想定されている御仁などにも得難いヒントを与える事となるであろう(無論冗談である)。

 ただし、本書はあくまで「科学文明をリスタートさせる」という想定でやっているので、対象はあくまで「科学知識」となる。

 だから、本書に柘植久慶の『サバイバル・バイブル』やバリー デイヴィス『SASサバイバル・マニュアル』のような知識を期待すると、多少肩透かしを食らうかもしれない。
 食べられる植物や動物の捕獲方法や毒キノコの見分け方などが知りたい場合は、そういった本を読んだほうがいいだろう。

 本書で扱われる科学知識は、そういった「短期間」のサバイバル術ではなく、「長期間」生活を安定させるための知識となるのである。
 何しろもう、大破局後の世界のわれわれには、支援物資を送ってくれる存在などは世界中のどこにもいないという想定なのだから。

 だから、本書で「食料」がテーマとなれば、農業はどうやって行えば安定して食材を供給できるようにできるか?といった問題が考察される事となる。
 土壌をどのように改良し、いかにして効率よく作物に栄養が行き渡るような肥料を生産し、広大な農地をどうやって効率よく耕していくのか?
 ……そのように農業を再興させてできる限り高い技術レベル・文明レベルを維持できるような方法を模索するのである。

 作った食料は保存しなければ腐ってしまう。だから、保存方法も知っておかねばならない。
 衣服はどうするのか?100年以上も着続けられる衣服などあるのか?……これも「繊維」のレベルからどうやって確保して糸に加工し、どのようにして布を織れば人間が着れるような衣服にまでたどり着くのかを考える。

 これらの知識は、人類が何百年もかけて蓄積してきた試行錯誤の結晶である。だから、これを最低限のレベルで維持し、再興しようとなると途方もない努力が必要となる。

 こういった一から物資を作っていくプロセスを見せられていると、自分などは日常生活で利用しているものの中で、自然の中から取り出して一から作り上げる事のできるものなど、ひとつでもあるのだろうか?とその途方もなさに唖然としてしまう。
 自分たちは何か、巨大な知識のブラックボックスの中でその原理の一つとして知らずに生きているかのような感覚さえ覚えてしまう。

 現代人は、一人ぼっちになるといかに無力なのかというのが痛感させられる。
 著者も次の様に述べている。

「生存者が直面する最も深刻な問題は、人間の知識が人びとのあいだに広く拡散した集合的なものだということだ。社会を動かしつづけるために欠かせないプロセスを知っている人間は、誰一人いない。製鋼所の熟練技術者が生き残ったとしても、自分の職務の詳細を知っているだけで、ほかの従業員がもっている製鋼所を動かすために不可欠なもろもろの知識を把握しているわけではない。まして鉄鉱石の採掘方法や、工場を動かすために電気を供給する方法などは知るはずもない。僕らが日常的に使っている最も目に付く技術など、広大な氷山の一角でしかない」(本書より引用)

 いくら博覧強記の人物であっても、たった一人で本書の想定するような事態に対応できるだけの知識を持った人などいないだろう。

 人間ひとりの知識や能力など、その程度でしかないなのだ。われわれ人間は集団だからこそ、初めてこの巨大な「科学文明」を作り、維持する事が出来ているのだ。

◆◆◆

 本書では、第一段階として、食糧の生産方法や水、衣服の生産方法を考察した後、更には大自然の中にある材料だけを使って金属や化学物質を取り出し、建築材料やエネルギーの確保、果ては医薬品の開発にまで言及する。
 建築材料や医薬品を作るだけでも、途方もない努力だと思える。

 しかし、こういった化学の知識を持っていれば、驚くほど様々なものを作り上げる事ができるという事に気付くだろう。
 どちらかと言えば人文科学のほうの知識をメインに勉強してきた自分としても、化学もこういった具体的なケースで役立つ話題となると興味が沸いてくる。

 例えば糖質のものであればほぼ何でも発酵させる事でお酒を造る事が出来る(本書に書いてある例で言えば蜂蜜、葡萄、穀物、りんご、米はそれぞれ蜂蜜酒、ワイン、ビール、シードル、日本酒になる……といった具合に)。
 そして、作られたお酒類は宴会のために使うという用途だけではなく、本当に重要なのはその中からエタノールを抽出する事にある。エタノールはお酒をごく簡単な作りの蒸留器で蒸留すれば取り出す事が出来る。

 エタノールは様々な用途で利用できる非常に有用な液体だ。

 何よりコロナ禍の中にある最近のわれわれにとってはかなり身近なものになっているのではないだろうか。衛生状態を保つために手指や家具などを消毒するために使えるし、傷口の消毒にも利用できる。
 大破局後の世界で医薬品や高度医療にアクセスできない環境にあって、衛生状態を保つという事は生きのびるために非常に重要な要素となる。

 その他にもエタノールはアルコールランプのような燃料に使えるし、保存剤にも使える。また水に溶けない様々な成分を溶かし込むための溶剤としても使える。

 栓を抜いて何日かたったワインが酢に変わってしまう事からも分かるように、エタノールから酢酸を作る事もできる。酢酸は調味料だけでなく「酢漬け」など保存食を作る際にも利用できる。

 このようにどのような物質に何の成分が含まれていて、それを抽出する事ができれば様々な化学の恩恵にあずかれるといった事例を、本書ではあらゆる具体的なケースを用いて説明している。
 自分としては、こういった化学知識でもってサバイバルを行うという発想は『冒険野郎マクガイバー』のような(古い!)面白さを感じたほどである。

 例えば、木を燃やした灰と動物の脂さえあれば石鹸を作る事ができる。
 エタノールと同じように、石鹸は衛生状態を保つためには非常に重要で、特に食事の前の手洗いをするだけでも口から入る黴菌を減らす事が出来、感染症や食中毒を予防する事ができる。
(※参考:以下の動画で具体的に灰と獣脂から石鹸を作る方法を実践的に解説しているのでご参考まで。これを見ると、どうも灰と獣脂から作った石鹸は、われわれが普段使っている石鹸の様には泡立たないようである。)

 また、木は建築材料や燃料としてだけでなく、様々な物質を取り出す事ができるので非常に有用だ。

 日本では特定の木から漆を取り出す方法を知っているだろう。松からは燃料にもなる松ヤニがとれる。ゴムノキがあればゴムが採取できる。
 その他にも木を熱分解すればメタノール、アセトン、酢酸、テレピン油、クレオソート、ピッチなどの物質が取り出せる。これらをそれぞれ他の化学物質と掛け合わせて重要な化合物を作り上げる事ができる。

 こういったものの膨大な知識の複合が、いま現在われわれが享受している巨大な「科学文明」というものの正体なのである。

 著者も言っているように、問題なのは本書で想定されているような緊急事態が発生した途端に、人間一人の知識というものがいかに役に立たないちっぽけなものかという事が分かるという点にある。
 われわれの科学文明は、あくまで膨大な人数の集団によって初めて維持され、その集団に知識が拡散しているために、われわれ一人一人の知識は単なる欠片でしかないという事だ。

 だから本書はある種のサバイバル本であると同時に、ある種の科学入門であり、その科学入門を通してのみ見える景色によって理解する「科学哲学」の本でもあるのだと思うのである。

 重要なのは知識ではなく、科学的な「考え方」だ。

 人類が大破局を迎えた世界では、同時に今まで積み上げてきた膨大な知の体系も半ば崩壊してしまっているのである。
 今まで見てきたように、現代科学文明を支えているのは、大勢の人間に拡散した知識の総合力なのだから、その大勢の人間が失われてしまったという事は、既にその知識体系も失われてしまったという事となる。

 そんな環境の中で、この世界を迷信やオカルトの支配する暗黒時代にまで退行させる事なく文明を維持し、現代科学の文明を再起動させるために何よりも必要なのは、この「科学的な考え方」なのだろう。

「科学は"自分が何を知っているか"を並べているわけではない。むしろ、"どうやってわかるようになるか"に関するものなのだ。結果ではなく過程なのであり、観察と理論のあいだと行ったり来たりする果てしない会話なのであり、どの説明が正しく、どれが間違っているのかを決める最も効果的な方法なのである。それゆえに科学は世界の仕組みを理解するための、これほど有益な体系となっている。知識を生み出す、強力なマシンなのだ。そして、だからこそ科学的手法そのものが、あらゆるもののなかで最大の発明なのである」(本書より引用)


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