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断捨離で受け取るものとは

「釣り竿」をいただきました

半年以上まえ、

外来で出会った患者さんに、釣竿をいただきました。

外来で何度かお会いし、いろいろ話しているうちに仲良くさせていただいた方です。

ある時、福井での遊び方について話していると、

その方は昔から釣りをやってこられ、「お金もかからず、楽しく、さらにゆっくりと自分を向き合う時間も作れる遊び」とのことでよくやっていたそうです。

そんな話を何度かしていると、
「釣竿をあげるよ」とクリニックに持ってきて、そのままいただいてしましました。

私は釣りの経験が皆無でやり方もわからず、
「とりあえずリールを直せばなんとかなる」と言われ、受け取りました。

後日、釣竿を直しに行きました。

思いがけぬ返答


あとは、釣りに行くだけ!

その時思いついたのが、

一緒に行ったら楽しいじゃんと思い、誘ってみました。

するとなんと「行きたくない」という言葉が返ってきました。

釣りに行ったら面白い場所はどれだけでも教えてくれるのですが、釣りには行けないと。

「体力的にもなかなかしんどいし、、、、、、」

という感じで30分ほど電話で話していたのですが

また、

「思いが変わったらこちらから連絡するよ」と言い、終話。

私にとって全く予想外でした。

その方は、クリニックに魚を捌きに駆けつけてくれる方でもあり、

一緒に釣りに行ったら絶対喜んでくれると思っていたからです。

振り返りをしました

そもそもなぜ、私に何十年も大切にしてきた釣竿を渡そうと思ったのでしょうか

ある意味の「断捨離」をされていたのかもしれないと考えました。

以前も断捨離に関する記事は書きました。

断捨離って、不要なものを捨てるイメージがあります。

その人の思い入れが詰まったものではあるものの、
「私がいなくなったらどうせ捨てられちゃうんだ」

他の人にとってはゴミでしかないもの。自身はわかってるはず。

それを始末する手間を焼かせたくない。

「惑をかけないでおこう」という優しさで断捨離する
つまり、残された人への思いを鑑み、断捨離をする。

しかし、その中でも

「捨てるもの」もあるのと同時に、「残されるもの」もあり、はたまた「捨てずに誰かに渡したいもの」もあるのだと思います。

死んだら、捨てられるけど、まだ大事だと思うものはとっておく。
あ、この人に渡したらなんか私の思いに答えてくれそう。という期待があるとその人に渡すのではないでしょうか。

そもそもどうでもいい人にはあげない。
普段接している人、近くにいる人、好感を抱いている人にしか向かないと思います。

断捨離の目的、物を人にあげる行為にしても、とてつもない「思い」「エネルギー」「生きてきた証」が詰まっていると思います。

もらう側には全て伝わらないし、理解できないからこそ、それを分かった上で、

目には見えない、「思い」を引き継ぐ使命を受け取るのかなあと。

思いを全部受け止めてられないことを分かった上で「もの」と「思い」を受け取る。もらう方も責任持って、受けとらなければといけないなあと。

断捨離という行為の覚悟を目の当たりにした出来事でした。

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