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誰かを守ること、喜ばせること

働く。
諸説があるそうですが、傍を楽にする(他者を楽にする)、という意味があるそうです。
働くことを意識しだしたのは、いつのことだったか。

初めに出会った働くということは、家の手伝いでした。最初は母親が喜ぶから、と子どもらしい感覚で行っていたと思います。庭の草取りや皿拭き、ゴミ出しなど簡単なことから、買い物・来客応対など次第に難易度の上がることを担ってきました。これらに対してお小遣いやお駄賃はなく、今にして思えば、家の一員としての自覚を育てるためだったと感じます。

ありがたいことに、後々これらの作業は、親元を離れても、会社勤めをしても、私を数多く助けてくれることになっていきました。
もちろん家の中の仕事を『働く』、とは認めない人にも出会ったことだってあります。ニーズを知る、段取りをつける、作業する、失敗を反省する、など、知らず知らずの内に仕事をするために必要な要素を含んでいたのですよね。だから、全く無駄ではありませんでした。


両親はとにかく働き者でした。会社員だった父は、いつ寝ているのか分からないほど仕事に精を出していました。父の収入だけで充分のはずだったけれど、母もまた働き者で、いつもパートに出ていて、家事に育児に、近隣の活動にと汗を流していました。
良く働いて、さっと人生の幕引きをしていった両親は、今の私などとは比べ物にならないほど、気概が違ったのです。金銭の授受だけに留まらず、この世界を、この社会を、この会社を動かしているのは自分なんだという誇りも全然違う。会社を経営している訳でもなく、雇われているだけなのに。
働いて得た対価以上のことをやりこなしていたのは、責任感や使命感が格段に強かったからなのでしょうか。

幼い頃からそんな両親を見ていたせいか、私の心にも”一生働く”ということを刻みこまれたことも確かです。

でも、現状は理想通りにはいきません。何をして、世の中に役立っていくか、自分に何ができるか、の部分を自分なりに考え、育てることが抜け落ちていたので、働くことの羅針盤を持たずに、社会に出てしまいました。

会社員時代に体を壊して正社員から脱落したあとは、浮草のような働き方しかできなくなってしまいました。時間単価で自分の労働力を売るわけですが、正社員=無限の労働時間、のような働き方がどうにも合わなかったのです。そしてサービス残業を奨励する会社の意図も理解できなかったし、なにくそ!と跳ね返す元気もありませんでした。何より、売り物にする自分の労働力の中身に、これといった専門性や付加価値がないことに苛まれました。

それでも今は働き方も、多様化しています。働き方のモデルとして色濃く記憶に残る両親の姿は、今の私には到底当てはめられません。やみくもに動き回っても体を壊すだけで、家族も家事仕事も守れない。家族の健康を支えているのは、他ならない私なのだから。

ですが、働き手の端くれの私にだって、自分の手足で稼いだものだけで生きてきたことの自信がある。必ず何か、今でも役に立つ力が残っているはず。会社組織についてチームワークを発揮して働くことが苦手なら、これを自分で追い風にして働けるようにすればいい。さて、どうしていこうか。

はたらくということ。
私の一生の仕事は、変化し続けて、探して、悔しい思いもして、それでも諦めずに働き続けること。

これが今の私に課せられたことなのかもしれない。

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