見出し画像

電車の席を譲る話。守られたのは、本当は自分の方だった。

車を運転して出掛けもするけど、今でも電車に乗って出掛けることの方が多いのではないでしょうか。
結婚してからは、家族で出掛ける買い物やレジャーにはほとんどと言ってよいほど、車で移動している。
コロナ禍の現在、電車の利用がめっきりと減ってしまったけど、それでも乗車する時に、ちくりと胸を刺され、また甘く温かくなることを思い出してしまう。

私が高校生だった頃、通学に利用していた電車内での出来事だ。

最寄駅から電車に乗り込むと、車内は空いていてあっさりと7人掛けの座席に座ることができた。私は運が良かったのか扉が閉まった後に、ふと見渡すと、腰掛けた人で座席は一杯になっていた。
電車は発車して一つ先の駅に停車した時、この駅でもたくさんの人が乗り込んできた。本を読んでいた私は手元から目をあげると、調度私の前に痩せた年配の男性が立っていた。杖こそついていないが、足元がおぼつかないようで、吊革をぎゅっとつかんでいる。足腰が弱い方なのだろうか。

頭の中で一瞬にして考え、次の瞬間には体が動いていた。
蚊の鳴くような声で、「あの……どうぞ……」そう言いながら、腰を浮かしかけた。内気な私の精一杯の勇気を振り絞って出した声だったが。
ところが、その年配の男性はサッと顔色を変えると、「いい!!」と言って私の右肩をぐいと押しやった。とっさの出来事と驚きで何も言えず、押されたはずみでまた元の席にどすんと座りこんだ。気まずさと恥ずかしさで頭が真っ白になり、下車する駅までうつむいたままだった。私が降りる時に、その年配の男性はもう下車してしまったのか、すでに居なくなっていた。若かった私は相手に非を感じ、心の中で責めた。この男性の心情を想像する余裕は欠片もなかった。

私がしたことは、単にやさしさにみせかけた、親切の押し売りだったのだ。席を譲って感謝されようとでも思っていたのか。自己満足から発する感情は薄っぺらで、受け手にはすぐに見抜かれる。無私の精神から出たものならば純粋だ。それに相手がどう思おうと構わない。さり気なくして、相手に気づかせない方が良い。相手にだって選ぶ権利があるのだ。

それからというもの、席を譲るという行動が私には難しいことになってしまった。それなのにどういうわけか、似たようなシチュエーションに遭うことが多く、気まずさと迷いでいつも脇の下に変な汗をかいてしまう。どうしようどうしようと、ぐるぐる考え続けて。

何年もそんなことを繰り返したある時、こんなことを考えているのが無駄に思えてきた。ちょっと気まずい思いをしただけじゃないか、と。
【席を譲ろうか迷った時には、そっと席を立って隣の車両に移動してしまえばいい。】こんな内容の文章をどこかで見かけたからだ。
近場への移動の時には、立って車窓を眺めたり本を読んでいればいい。さすがに1時間以上乗車する時は自分もしんどいので、座りはするけど”この時”がやってくると、そっと席を立つ。

あの時から何十年か経って、私は息子とも電車で出掛けるようになっていた。
やはり、7人掛けの座席に並んで腰掛け、次の駅に向けて走る電車に乗っていた。日を背に受けて、ぽかぽかと暖かい冬のとある日だった。駅のホームに着くと、日が差し込む反対側のドアが開き、年配のご婦人達が連れ立って乗車してきた。

小柄でふくよかで、見るからに楽しそうに体をゆすっておしゃべりをしている。黒い服を身にまとい大きな紙袋を下げていたから、おそらくお葬式の帰りだったのだろう。黒い服に反して、笑顔もまたふくよかに咲きこぼれている。

お1人の方は杖をついていて、もう1人の方は腰がお悪いようだ。
片方の人と一瞬目が合った。ドキリとしなかったと言えば嘘になるが、少し動揺したのは確かだ。それでも私はそのふくよかな笑顔に微笑み返し、息子の手を引くとそっと席を立った。さあ、隣の車両へ行こう。

ありがとう、と周りにもよく通る声が私の背中に投げかけられた。2人とも私達のいた席に座り、振り返った私にまた笑顔を向けた。恥ずかしさと妙な緊張と変な汗は一気に飛び去った。何年も気にし続けていたこだわりが、この老婦人の言葉に溶かされた瞬間だった。

隣の車両に移ると、もう席は空いていない。ドアの近くのスペースに立つと、背の低い息子は窓の外が見たいと言う。
胸の辺りがふんわりと温かかった。息子を抱きあげたからだろうか。


いや、それだけではなかったからだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?