宿題をしたからって大学合格はしない、かもね
「高校生のとき、宿題をきちんとこなしていた」と自信を持って言える人はどのくらいいるのだろうか。
私は、夏休みの宿題で約100ページ分の数学問題を解くように言われたときは、ほとんど手をつけなかった。
自分が機械のようになって宿題をする意味がわからなかったから。
学校の先生は、すべては大学受験のためだ、と言って、宿題を渡してくるだけ。そんなふうに言われても、私は受験に対してやる気がなかったから、ただただ苦痛でしかなかった。
「とりあえずやればいいんでしょ」と、テキトーに答えを写して提出することがほとんど。そして勉強が嫌いになって、「私はガリガリ勉強することが不得意だ」と思うようになった。
でも、吹奏楽部の活動には没頭できていた。
なぜ本気になれたのか。
一番の理由は、夏のコンクールで金賞をとって、みんなで支部大会に進出したかったから。そのために、毎日朝から楽器と向き合って、必死になって練習した。
たとえ仲間とケンカしても、うまくできずに泣いてしまっても、完全に投げ出すことはなかった、と思っている。
そしていつの間にか、音楽も仲間も、周囲の環境が大好きになっていた。
どうして私は勉強を放り投げたくせに、部活はがんばれたのか。単純に、音楽をすることが好きだったからなのか。
違うと思う。
おそらく、目的と手段が一致していたからだと思う。
コンクールで金賞をとるために、ひとつの手段として、朝から練習をした。つまり、金賞をとることが目的で、朝から練習をすることが手段。
一方で、勉強はイヤイヤと宿題をこなすだけ。第1志望の大学に入りたいという気持ちはゼロではなかったものの、本気でそう思っていなかった。
つまり、第1志望の大学に入ることが目的で、宿題はそのひとつの手段のはずなのに、宿題をすることそのものが目的になっていた。
手段が目的になると、苦しくなったときやめたくなるんだよね。
第1志望の大学に合格するために、渡された宿題をするのはあくまでひとつの手段だから、自分のやりやすい方法を見つけていい、って知っておけばよかった。
その手段となる選択肢を増やすために、自分からいろいろな人と会って話すのが大事なのに、なぜ高校生の私はしなかったのだろう、と今だから思う。
でも、当時は地方の超ド田舎高校に通ってたらそんなことを知らないし、調べ方もわからないから基本的には受け身。(言い訳かもしれないが)。
だから、高校という狭い環境でも、いっぱい選択肢を知れるチャンスがほしかった。
話を聞くことで視野を広げて、一意見として受け止めて、自分に合うものを見つけて、実行して。自分次第で変われるんだよ、ってもっと早く知りたかったな。
今わかってるからいいんやけど!ね!
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