見出し画像

大人になれない。


「知ってしまったら知らなかった頃には戻れない」を信条に掲げていたはずなのだけれど、それも終わりを迎えようとしている。
知りすぎた。無知を個性に世を渡るのはもう限界で、今後私は知りすぎるくらい知らなければ凡人として扱われる。今までは「知らなすぎる」で通っていた。そろそろサヨナラをしなければならない。私らしい私をもう世間は許してくれない。大人にならなければいけない。

私はまたも日本地図を覚えようとしている。みんなと一緒になるまいと断じて覚えることのなかった日本地図。
このところ私は物事に精通していくしかないのだと言わんばかりの出来事が続いている。役に立つ物事に、数多の人と同じ物事に、個としての興味ではなく人と対話をする上での教養に。この現実をずっと受け入れられなかったのだ。私は今それを受け入れようとしている。都道府県をiPadに描き、悲しみを懸命に誤魔化しながら覚えようとしている。覚えたくないのだ。小さな頃から日本地図は私にとって均一化の象徴だった。

いつの日か私も自己啓発本の類を読むのだろうか。進んでノウハウを知っていくのだろうか。人の思想で頭が一杯になるのだろうか。
小説ばかり読んでいた、物事の解釈は、見方はあくまでも自分の感性にのみ委ねうるはずだと、他の思想の介入を頑なに拒み続けている私はどこへゆくのだろう。
頑固婆さんになっても構わないのだ。
なれる事ならなりたいのだ。
それで生きていける自信がもうないのだ。
ものを知らないからこそ生まれる発想の価値を私はだんだん信じられなくなっている。

私はいつまでも子供でいるつもりだった。
大人になりたくない。みんなと一緒になりたくない。いつから私の中で、大人になることとみんなと一緒になることは同義になったのだろう。社会人とは何なのだろう。社会と繋がっている人なのか。私はなれるのだろうか。
どこかに他人の束縛を受けず暮らせる場所があるのだろうか。私は何に縛られたくないのだろうか。
どこかに免罪符があるのだろうか。何と引き換えに手に入るのだろうか。
結局いつも私が都道府県を覚えきることはない。胃がうねるのを感じて途中で止めてしまう。発作のようにふと会得を試みる。けれど、今日もやはり覚えられなかった。私はまだ子供なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?