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天国へ行くおじちゃんへ、ねぇ今読んでくれているかな?

亡くなった叔父へのメッセージを、なんのためにわざわざnoteに書いているのかわからないけれど、ここに残しておこう。

私が唯一の姪だったからか、実は知らないところですごく想ってくれていた叔父。もともと多くを語る人ではなくて、いつもゴリゴリの長崎弁で「おいは大丈夫、よかよ〜」って、自分は遠慮して誰にでも優しくしていた。

職場の人にも愛されていたんだって。人当たりがいいんだろうなぁ。

そんな叔父に、届けたいお手紙を。今になっていろんなことを後悔しているの、ごめんね。


樹徳おじちゃんへ

「何もできなかったな」と後悔しています。もしかしたら、何か変わっていたかもしれないのに。

4/15に息を引き取ったと聞いて、「あぁついに逝ってしまったのか」と。入院してからは、いつかこのときが来ることをわかっていたから、苦しんで泣くことはなかった。

でもね、さっき樹徳おじちゃんの職場の人に話を聞いて、「なぜ何もできなかったんだろう」って、悔しい気持ちになってる。

姪の私に就職祝いをしてあげたい、って仲良かった人に話してくれていたんだね。長崎市で頑張ってるんだよって、自慢してくれていたんだね。

めっちゃ泣いたよ。今も書きながら泣いている。

私が小学生のころ、親戚が集まったらすみっコでタバコを片手に、みんなのことを優しく見守っていた印象があるの。それが、おじちゃんだった。でも、もっともっと話しておけばよかった。心の内を聞きたかったな。

病気がわかってから久しぶりに家に遊びに行ったとき、おじちゃんのケータイにLINEをインストールしたの覚えてる?(笑)少しでも元気にしたくて、親戚でLINEグループを作ったんだ。

実は癌のこといろいろ調べて、もしかしたら治るんじゃないかって、少し希望を持ってた。末期の癌になったけど治った人のを見つけた、結局読まなかったけど。きちんと読んで感じたことを、何かしらのカタチで伝えてたら変わってたのかもな。

入院前まで、弟である私の父や親戚に迷惑をかけないようにお仕事をしていたんだよね?そこには、病気のことを忘れたい気持ちとか職場の人と話したい気持ちもあったんだよね。

その気持ちを汲み取ってあげられてなくて「もう仕事しなくていいのに。」って、それしか思ってなかった私は、1番近いように見えて、本当は1番遠い存在だったのかな。なんか悔しい。今さらかよって思うけど、優しい樹徳おじちゃんはそんなこと言わないんだろうな(笑)。

明日、告別式で本当にお別れ。でも、なんとなく天国から見守ってくれるんだろうなって思う。おじちゃんのお父さんお母さんと再会できるね、よかった。なに話すんだろ?

ねぇ、私の夢に出てきてよ。もう一度だけでいい、なんでもいい、話そう?好きなカレー、食べよう?もっとおじちゃんのこと知りたいんだよー。

生まれてきてくれてありがとう。またね。

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