『ますをらぶり?」第二回──女子高生、実朝を読む。

前回分は上記の記事にてお読み頂けます。

 最近タワーマンションの建設が進められてゐる驛前をファーストフード店の二階の窓から眺る。タクシー乗場の──徐々に狭くなりつつある空に赤く染つた雲がたなびいてゐる。
 ユズコ、ユイ、アオイの三人は読書会の本番ではないけれど、文庫本を一様に机に並べて冷いドリンクを飲んでゐた。
「青空文庫だと歴史的仮名遣ひ? で書れてゐるから一寸(ちよつと)読みづらいんだよね……新潮文庫だと普通の文章だから分り易いんだけど。」
 ユズコが液体の少くなつたカップから空気を吸ひ込でゴゴゴと音を鳴らしながら言つた。
 ユイに煩ひ、と叱れるユズコを眺つつアオイは正仮名遣ひつて云ふんだけどね……と微笑でゐる。
「確かに正仮名遣ひつて最初は戸惑ふよね。私も初て丸谷才一と云ふ作家の本を読んだ時はなかなか進まなかつたもの。」
「「云ふ」つて何だよ? 「いう」だろ? みたいな? 「だつた」じやなくて「だった」だろ? みたいなね。あたしも青空文庫で最初の方を読んだ時、全然進まなくて諦めちやつた。本の方は普通で助つたよ。」
 ユズコの空のカップを没収しながらユイは笑つて言つた。
「それより授業中ミナコ先生に怒れながら読んでたみたいだけど、だう? サネトモの正体は分つた?」
 ユイの問ふたのを聞いて、ユズコはカップを奪ひ返さうとする手を引込めた。
「えつと、サネトモが鎌倉幕府の将軍だつてことは分つたよ。それから太宰治がこの人に魅力を感じて魅力的に書いてるのも分る。……でもサネトモを崇拝してゐる人が格好良いとか凄いと思つたエピソードを語つてゐるだけで、だうして凄い人なのか、だうして太宰やアオイちやんが魅力を感じてゐるのか分らない気がする。」
 ユズコが真面目な表情で話すので、場は一時に真面目な雰囲気になつた。それまで正仮名遣ひが難しい話やミナコ先生がヤマンバだつたらしいと云ふ噂話をしてゐたのに。
「アオイちやんは太宰じやなくてサネトモに興味があるんだよね? 何かさういふ気がするんだけど、だう?」
 ユズコに問はれたアオイは暫く考へを巡し、意を決したやうに息を吸ひ込んだ。
「じつは、私は、昔オカルトに興味を持つてゐた時期があつて……興味を持つてたと云つても、ほんの短い期間だつたんだけど、その時に埋蔵金に関する本を買つたりとか、日本中に埋められてゐる財宝に就て調たりしてて……それでその頃、手に取つたのが『金槐集』だつたの。」
 話しぶりは淡々としてゐるアオイであつたけれど、その顔を観察すると耳が真赤になり、頭の俯き加減は額がテーブルにつきさうなほど次第に下つてゐた。
「買つた時は金塊の本だと思つたの、でも中を開いて見たら和歌が載てゐて……源実朝の遺した『金槐和歌集』だと気がついたの。それから長いこと棚に仕舞てゐたのだけど、最近『山崎正和著作集』を開いたら「実朝」と云ふ文字にぶつかつて、小林秀雄の本を開いたらまた「実朝」にぶつかつて、そして極つけに太宰を開いたら『右大臣実朝』があつて、これは観念して『金槐集』を読まないとダメなやつだと思つたの……興味があると云ふのは、さういふ理由。」
 アオイの恥しさうな顔を見つめながらユズコとユイは笑ふのを我慢してゐたが、堪へ切れずに吹き出した。
 声を発て笑ふ二人を見て、アオイは恥しかつたけれど、悪い気はしなかつた。二人につられて自分も笑つてさへゐた。
「だつて見分がつかないでせう? 同じ「キンカイ」と云ふ読みだし。」
 指で目を払ふユイは、
「確に「金塊」と「金槐」で土偏か木偏かの違ひだもんね。」と言つた。
「いやあ、アオイちやんがこんな面白ひエピソード持つてるなんて知らなかつたよ。さういふ切掛けで実朝に興味持つたんだね。良い話だわ……俄然興味が湧いたかも!」
 三人の笑ひ声は女子高生たちの行き交ふファーストフード店内の喧騒に紛れて、三人の他は誰も聞ひてゐなかつた。
 三人の笑ふ声は三人だけのものだつた。

続きは下リンクにてお読み頂けます。


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